2008/06/14

『12歳からのインターネット』――全然「当たり前」じゃないITリテラシー

Amazonから、荻上チキさんの『12歳からのインターネット』が届く。どんなテイストの本になるのか、うかがっていたため、楽しみに待っていたが、期待に違わぬデキだ。

ご本人は自身のブログ

「当たり前」のことしか書かれていない本です。
と謙遜するが、これまた「荻上式BLOG」でもおっしゃるとおり、この「当たり前」とは、ネットユーザーにとっての「当たり前」。ネットの世界に明るくない人や、教育の世界に明るくない人にとっては実は「当たり前ではない」、でも、ネットを扱う上で大切な心構えをキチンと説いている。

学校とは、良くも悪くも「社会の建前」を教える場だ。中学校のころ、当時の担任教師に聞いてみたことがある。

「なんで校則は守らなきゃいけないんですか?」

いかにも反抗期バリバリの厨房丸出しでカッチョ悪いにもほどがある質問だが、小うるさいガキがうざったかったのだろう担任のあしらうような答えは奮っていた。

「守っときゃ、大人からうるさいことを言われずに済むだろ」

「余計なストレスを回避するために、とりあえずルールを守っておく」という選択は、確かに立派な処世術だ。だから、ボクは非常に感銘を受けた。

が、そんなことは、やっぱり学校で教えちゃあいけない。「集団生活を送る上で規律は~」と説教の1コもぶってくれてこその、ガッコのセンセイというものだろう。そして子どもは、その建前を踏まえた上で、その後の友人との交流やアルバイトなど、社会経験を積み重ねる中で、処世術や裏技を自ら体得するのが正道だ。

だから、先生の書くITリテラシー本、情報モラル本は、どうしても、その正道に則った「建前論」になりがちだ。「ネットに人の悪口を書いてはいけません」「プロフや学校裏サイトはトラブルの火種になるから、作らないようにしましょう」。

決して著者が無能なわけではない。子どものマインドを熟知しているから「子どもの執念はハンパじゃない。どうしてもヤバげなサイトが見たかったらフィルタリングなんて楽勝で突破する。技術に頼るな」など、見所のある提案をする先生は少なくない。教育者という職務、職責に忠実だからこそ「加害者になるな!」「悪いことには関わるな!」という人として当然の基本姿勢を教えようとしているだけだ。ただ、加害者になることや、被害を受けたときの恐怖に怯えるあまりコミュニケーションを控えてしまうと、ネットを有効活用することはできはしない。

他方、ITライターが書くITリテラシー本、情報モラル本は、やっぱり職業上の問題なのか、テクニカルな話題に終始しがちだ。「ウイルス対策ソフトとファイアウォールを導入しましょう」「フィルタリングソフトで有害サイトはある程度シャットアウトできます」。ユーザーマインドに訴えかけないぶん、先生の提案よりも実効性やリアリティに欠く。

『12歳からのインターネット』は「加害者になるな!」「技術によるフィルタリングやゾーニングも活用せよ!」という誰にとっても「当たり前」のことへの目配せを欠かさないのはもちろん、教育屋、IT屋よりも一歩先行く提案、つまりは裏技、処世術についても解説する。

特に注目したいのが「荒らし」と「粘着」の対処法について。同書は、とにかく全力でスルーしろ、もっと安全なコミュニティを探してみろ、と提案している。

「なにを当たり前のことを」と思えるなら、その人は、立派なネットユーザーだ。しかし、まずは子どもに「世の中には建前ってもんがあるんだよ」と教えなければならない先生は「顔も見えない相手から悪口なんて言われたってムシしときゃいいじゃん」「そいつとは関わり合いにならなきゃいいじゃん」とは言っちゃあいけない。だから、これまでのITリテラシー本、情報モラル本では、この見解は「当たり前ではなかった」。

そのほか、同書では「別人格を演じることは、悪いこと?」という質問に対して、他人の評判をおとしめたり、誰かをダマすためにネット人格を使うことは禁じる一方で、

楽しめる範囲なら全然OK
と、笑えるレベルのコミュニケーションは許容する。同じく「釣り」についても、デマはNGとしつつも、
参加者全員が楽しめるようなとんちのきいた「釣り」
はアリ。

2ちゃんのネタスレなんかでゲラゲラ笑ったことがあるなら、こちらも「当たり前」のことだろうが、建前論で考えると「当たり前ではなく」なる。やっぱり、ウソはいけない。

加害者と被害者。どちらが悪かと問われれば、多くの場合は、まあ、加害者だろう。だから、建前論では、加害者、つまりは「良くない情報発信者」になることを回避する方法を指導することになる。もちろん、悪になんてなるべきではないのだから、建前を知っておくことも重要なのだが、どこに「荒らし」や「粘着」「釣り糸」が潜んでいるとも知れないネットの世界では、被害者(情報の受け手)にも相応の心づもりが必要だ。

その性格上、先生には教えられない、この心づもりを指摘できるのは、教育の世界からもITの世界からもほどよく距離を置く荻上さんだから。決して「当たり前」のITリテラシー本じゃない。実は画期的な1冊だぞ、これ。

さて、これを読めば、ネットを使うときの基本的な心構えは醸成できるはず。次は、実践編だ。実際にパソコンを使ったケーススタディみたいな本が必要なんだろう。

はてさて誰が書くんだろう。とりあえず立候補してみるか。一応のノウハウとしかるべき肩書きを持った指導者、そして書き手(っつうかオレ)は用意できるはず。軽く企画書でも書いてみよう。

というわけで、労働意欲を盛り上げてくれる意味でもいい1冊だった。

【付記】
ついでに言っておくと、学校主導のITリテラシー教育、情報モラル教育がはかばかしくないのには、学校のパソコンの設置台数の問題もある。公立の小中学校の場合、児童・生徒の個人情報漏洩を防ぐ意味合い(と予算の関係)から、職員室に2台きりしかパソコンのないところも珍しくない。先生って、能力の問題ではなく、物理的にITリテラシーや情報モラルを高めにくい環境にあるんだよね。

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2008/06/10

ダメ就職指南

■α-Synodos vol.5
http://kazuyaserizawa.com/synodos/mm/index.html

現在配信中のメールマガジン「アルファ・シノドス」で荻上チキさんと対談させてもらっています。

拙著『凶暴両親』と、荻上さんの最近の研究テーマであるところのITリテラシー、情報モラル教育を引き合いに、超近視眼的な(「親として」なんて立場での。当事者性バリバリの)教育論争の不毛さ加減について話をしたのですが、テキストをまとめた荻上さんの琴線により強く触れたのは、ボクの来歴のほうらしい。えらい紙幅を割いています。

気持ちはわかる。ボクのダラダラ話をキレイに交通整理していただいたテキストを読み返してみるぶんに、この人(ボク)、今のこの仕事にありつくために、いや、大学進学にですら、なんの努力も払ってないことがよくわかる。今、ボクがココにあるすべての理由は、強力にもほどがあるコネと営業のおかげ。最悪だわ、この人。絶望したっ!

いや、なりゆきで、意外とどうにかなっちゃってるのは、なにもボクに限った話ではない。もっともっと能力のある方々だって、そんなもんだったらしい(と自分を慰めたい!)。

たとえば、'90年代、ターザン山本!政権下の『週刊プロレス』黄金期を支えた小島和宏氏。回顧録『ぼくの週プロ青春記』によると

高校時代、父親の勤めていた会社が左前になり、家計がひっ迫

茨城から電車通学できる大学以外に進学できなくなる

当時からプヲタだったからと、日本武道館と後楽園ホールにほど近い大学を選択

あわせて、常連投稿者として、やっぱり大学の近所にあった『週プロ』編集部に出入り。そのままバイトくんに

卒業後、嘱託社員から正社員に

新日本プロレスや全日本プロレスのような老舗で大手の団体には、すでにガッチリ食い込んでいる担当記者がいる

だから、当時『週プロ』で扱いの小さかった女子プロと、まだ海のものとも山のものともつかなかったインディ(FMWとみちのくプロレス)の担当に回ることに

空前の女子プロブーム、大仁田ブーム、みちプロブーム到来

名物記者に

もちろん、小島氏の記事に煽られて女子プロ、大仁田、みちプロ人気に火が付いた部分もある。取材力、筆力に恵まれたからこそ名物記者にもなれたのだろう。が、状況を羅列するぶんには、まったくもって、なりゆきで、そうなっている。

先日、お酒の席でご一緒した尾谷幸憲さん曰く

「オレ、ライターになってすぐ『大学受験Vコース』編集部に潜りこんだんスよ。専門卒なのに(笑)。『サークルってチョー楽しそうだなぁ』って思いながら記事作ってましたよ」

それが、今やベストセラー作家だ。

これは、出版業なんつう「米一粒、釘一本もよう作らん」、社会の役に立ってるんだかどうだかもよくわからない、ふんわりした職業だからなせる業なわけじゃないと思う。

できる社員は「やり過ごす」』(好著!)の著者にして、東京大学大学院教授の高橋伸夫氏から、以前こんなお話をしていただいたことがある。

「ボクらの世代(高橋氏は'57年生まれ)のサラリーマンって、若手社員に『この仕事にやりがいを持ちたまえよ』なんてことを言いがちだけど、冗談も休み休み言え、って感じなんですよね」

高橋氏が就職活動をしていたころは、石油ショックによる不景気の影響で氷河期のまっただ中。大半の連中が希望どおりの会社になんて就職できなかったという。

「でも、食うためにはその職場で与えられた仕事を粛々とこなしていくほかない。そうこうしているうちに、たまに仕事がうまくいったりなんかして、なんとなく『オレ、この会社に向いているかも』とか『仕事って結構楽しいじゃん』って思えるようになっていっただけなんです。そんな気持ちを忘れて、若者にだけ『やりがい』を強要するのはズルいですよ」

現状、いろいろ言いたいことは誰しもあるだろうけど、よほどのことじゃないかぎりは、なんとなく今の流れに乗って働いちゃったほうが、ちょっとくらいは、いいことあるらしいよ。

【付記】
メディアの人は「若者と仕事」とか「サラリーマンの処世術」なんてお題で記事や番組を作るとき、高橋先生を取材するといいと思うよ。ルックスは、ジャガー横田の旦那チックというか、ジェントルなメガネハンサム。なのに、出てくる言葉は、上記のとおり、皮肉が効いてて、やたらとキレ味がいい。マジでオススメ。

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2008/05/28

「モンスターペアレント問題」をどうする?

■日経トレンディネット「【“新書”最前線】学芸会に桃太郎が16人! 『モンスターペアレント』問題をどうする?」
http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20080527/1012724/

P1020701_3毎回、あるテーマに沿った新書3冊を紹介する同企画において『凶暴両親』を取り上げていただきました。尾木直樹『バカ親って言うな!』や、多賀幹子『親たちの暴走』という類書と比較することで、拙著の特徴をわかりやすく際だたせていただいております。

数年前『ウェブ汚染社会』を読んだときには「おいおい、尾木センセイともあろうお方がなに言っちゃってんのよ」などと思ったものの(『ウェブ~』については「ARTIFACT@はてな系」に詳しいです)、『バカ親って言うな!』は、教育の世界の当事者でありながら、学校ベッタリにならず、データをもとに非常に冷静な見解を示すナイスな1冊。そして『親たちの暴走』は日本のみならず、英米の学校保護者関係についても精緻に取材した超力作。そんなタイトルとともにご紹介いただけたこと、本当にありがたく思っています。

で、上記リンク言うところの「より客観的な立場にある取材者」であるボクの直近の仕事といえば、今売りの『SPA!』でメイドさん2人にマッサージされてデレデレになっている写真を撮られること。おふたりとも、チョーいいにおいがしました!

……本当にすみません。

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2008/05/27

川田亜子と同期だった

頭が悪いからなのか、人としてなにか大事なものが欠落しているからなのか、このエントリを記すのがいいことなのか、不謹慎なことなのか、ボクにはイマイチ判然としないが、今回の彼女にまつわる一報に触れて、1年前にこんなことを書いていたのを思い出した。以下は'07年4月10日のmixi日記。

インタビュー中、会社を追い出された(誇張表現)話をしたら「お互いフリー1年目なんですから頑張りましょうね。同期なんですから」だって。わざわざ顔を近付けて。

こういう切り返しができるあたり、やっぱ美人は処世術にも長けてるなぁ、と思いつつ、チョイ萌えた。そして思い切り照れた。

去年の4月初旬『日経エンタテインメント!』の仕事で、同年度に独立した3人の女子アナ、内田恭子、赤江珠緒、そして川田亜子を取材した。実は、ボクもそのころ、元いた編プロを辞め、フリーとして仕事を始めている。で「ボクも会社辞めちゃったんですよ。このインタビューがフリーになって一発目の仕事」なんて話をしたところ返ってきたのが、上記引用カギカッコ内の言葉。今の今まで忘れていたのだから、深く心に刻まれたわけではない。ただ、当時、なんかうれしかったのを思い出した。

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2008/05/24

『On the Road』あるいは『前略、道の上より』

■葉っぱの「歩行と記憶」「[考える]ニヒリズムを越えて」
http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20080408

本田透の『なぜケータイ小説は売れるのか』(ソフトバンク新書)のbk1レビュー「喪男」【モダン】のケータイ小説論考をアップしました。フリーライターの成松哲氏によると、「ケータイ小説書籍のメイン読者は、地方都市……例えば北関東」なのだと、本書で紹介しているが、わかる気がします。
2月に敢行された本田透さんの新書『なぜケータイ小説は売れるのか』にコメントゲストとしてお呼ばれし、上記引用のとおり、なんかそれっぽいことを話してみた。

文中では「ケータイ小説書籍のメイン読者は、地方都市……例えば北関東」と語るのみになっているものの、これは「売れてねぇライターが言いたい放題言っちゃってるのをそのまま書き出すと、お前が干されたり、怒られたりで、余計に売れなくなって大変だろうから」という、本田さんと担当編集氏のお気遣いによるもの。実は、取材ではもうちょっとぶっちゃけている。文中の言葉だけでは、一見、抽象的な印象論というか、個人的な感触レベルの話っぽいんだけど、きちんと裏は取っている。

その裏というのが、あるケータイ小説配信事業者の担当氏のひと言。'06年末から'07年の初めごろ、いくつかの新聞と雑誌で、ケータイ小説のトレンドを追っかける記事を書かせてもらっていたことがあり、配信事業各社を取材していた。その取材先のひとつから以下のような言葉をもらったので、それを紹介した。

ウチのビジネスモデルは「北関東的」なんですよ。
いや、名言だ。たったのひと言ですべてを物語っている。

当ったり前だが、都市部、都会と呼ばれる地域よりも、地方と呼ばれる地域の方が人口は多い。暴論も暴論だが、東京都の人口が1300万人。日本の総人口のたったの1割ぽっちだ。ならば、9割を相手に商売した方がオイシイに決まっている。バリバリにトンがった都会的なコンテンツに地方のコすべてが共感しうるか、ピンとくるか、といわれれば、もちろん怪しい。都会のコと地方のコでは、触れられる人、モノ、情報の量が違うんだから、育まれるメンタリティだって違ってくる。だから「泥臭い」「土着」の、ちょいダサめのコンテンツ作りを目指す。

各社、女子中学生向けファッション誌なんかと組んで「女のコたちはみんな読んでる!」的な、ちょっとオシャレげなイメージを打ち出す一方で(この打ち出しもめいっぱいダサいが)、「都市型のビジネスじゃないんですよ」とぶっちゃけちゃうのは、ちょっとズルい気もするが、大きなパイを狙いに行くビジネス判断は、しごくまっとうだ。

で、この「北関東的」なる言葉を受けて、群馬と栃木、文字どおり、北関東に取材に行ってみたのだが、まあ、配信事業者の目論見はドンピシャリ。ターミナル駅の駅ビルにある書店のケータイ小説棚は、せいぜい1つ。ところが、県道沿いの郊外型超巨大スーパーの書籍コーナーや、大型チェーン系書店になると、ヘタすりゃ、単行本の棚には、ケータイ小説とタレント本と自己啓発書と宗教本(not 宗教学本)しか刺さってねぇんじゃねぇかって勢いになる。ありゃ、完全に地方型のビジネスだ。

なんて話をした記憶がある。

さて、じゃあ、ケータイ小説は、なにが北関東的なんだ?

19世紀のイギリスの作家、ジェーン・オースティンの長編『高邁と偏見』のなかにロンドンから田舎町にやってきた男と、田舎町のオバさんのやりとりがある。男が「田舎じゃ、交際範囲が非常に限られていて、しかも変化というものがまったくない」と皮肉ると、オバサンはキレ、こう反論する。

「そりゃお話とか、公共の場所というようなのは別でございましょうけど」(中略)「わたしはまた、この辺ほど交際範囲の広いところは、ちょっとどこにもないと思うのよ。だって、現にわたしたちの家など、二十四軒のお家と、食事のおつきあいしてるじゃありませんの」
オースティン曰く、モノや情報の量が少ない地方だからこそ、人は人との関係性のなかに物語を見出そうとする。しかも、人の数もあんまりいないから、その関係性と物語は濃密になる。だから、たとえ近所に24戸しかなくても、芳醇な世界に生きていると思える、というわけだ。

平凡な女子高生たるアタシが、「ジモト」で一番イケてる○○先輩や、「ウチ」のガッコの人気者の××君といったパーソナルエリアのヒーローに愛されてしまったがゆえに、輪姦、堕胎、ヒーロー君の死といった悲劇に巻き込まれるも、「家族」や「トモダチ」、新しいカレシの愛の力で克服。なんかよくわかんねぇけど、幸せ。

数少ない登場人物が、やたらと密着度の高い関係性を構築しており、やたらと濃い物語を展開するケータイ小説も、地方都市だからこそ生まれた物語なんだろう。

学校やバイト先のカラオケ店、コンビニ、居酒屋。そんな県道沿いの施設のなかで繰り広げられる物語が、同じく県道沿いのスーパーや書店で大量消費される。ケータイ小説こそ、新しい「路上の文学」なのかもしれない(なんだ、このオチ?)。

あと、『なぜケータイ小説は~』についても少し。Web屋やマーケッターが数字を根拠にケータイ小説ブームを解説する書籍は数あれど、作家自ら、その物語性を分析してみせる書籍は、本書くらいのもの。作家であり、オタクであり、オッサンである本田さんは、ド素人の書くケータイ小説なぞ文芸として認めたくもないが、感動するコたちの涙はウソじゃないことも知っている。だから、恩讐を乗り越え、そこにどんな物語が描かれているのか、ひとつ読み解いてみようじゃないか。そんなフェアなノリで書かれた一冊なので、ぜひご一読を。

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2008/05/21

みんな、ボクの本を買うといいと思うよ

■産婦人科で「モンスターハズバンド」急増 付き添いが暴力・暴言
http://mainichi.jp/select/wadai/everyone/news/20080520mog00m040015000c.html

産科や小児科など、母子医療に特化した愛育病院の院長が、セミナーの席上、患者たる嫁さんと付き添いの旦那が巻き起こすトラブル事例を紹介したというお話。

男性医師が妊婦の診療に立ち会うことについて「セクハラだ」と抗議する旦那やら、「カネはねぇけど嫁を診ろ。診られないなら別の病院まで送り届けやがれ」という旦那、「満室」と聞かされたのに「個室を用意しろ」とスゴむ旦那。なるほど、ヒドい話もあったもんだが、記事の見出しの言うとおり「急増」なんかしてんの?

上記記事中、院長は「増えている」とは、ひと言も言ってない。ひょっとすると、セミナー中、そういう発言があったのかもしれないが、ならばそれをつまびらかにした上で、見出しに「急増」と打たなければフェアではない。セミナーとやらが毎年開かれていて、例年は患者のトラブルなど話題にもならなかったのに、今年に限って話題にし始めたのなら、確かに「急増したのかも」と想像できなくはない。とはいえ、それなら、やはりその旨を記すべきだ。

だいたい、客商売をしていれば、昔っから、クレーマーというか、面倒くせえことを言い出す客には、少なからず出くわしてはずだ。特に産科の場合、お客は、人の生き死にに関わる事情を抱えている。暴力、恫喝を容認するわけではないが、テンパるヤツ、デリケートになりすぎるヤツがいたって、まるで不思議じゃない。

毎日新聞は「モンスター」って言いたいだけじゃなかろうか。もちろん、これだって憶測だが、公共のメディアで「急増」と謳うなら、ソースを出すべきだろう。

「モンスターペアレント」という言葉が登場して以来、調査・取材もそこそこに、とりあえず「モンスター○○」とぶち上げ、視聴者・読者の不安を煽りつつ、優越感をくすぐる(「オレはこんなにイタくない」とホッとさせる)「メディアイベント」ばかりが展開されている気がしてならない。

記事冒頭に

学校現場での「モンスターペアレント」が話題になって久しいが
とあるが、話題にしたがっているのは、正直、メディアだけ。以前のエントリにも書いたが、毎日言うところの「学校現場」(ついでに言っておくと、教育関係者はこんな言い回しはしない。今日びの教育関係者は、学校こそが現場などと教育機関を聖域化することを極端に嫌う)である各地の教委は「安易に保護者をモンスターペアレントと呼ぶな」と警告している。

また、先生を取材すると「何十年も前から、なにかと学校に苦情を入れに来る親御さんが数人はいましたよ」と口を揃える。「モンスターペアレント問題が話題」になった今になって、その数が何十にも増えたわけではない。やっぱり、1校に1~2人程度のものだという。

保護者のなかにイタいヤツがいることが、ショッキングな理由もわからない。ちょっと計算すればわかりそうなもんだ。30人学級が一学年2クラスある小学校の保護者数は、

30人×2クラス×6学年×2人(1人の子どもの保護者数)=720人

母子家庭、父子家庭や、きょうだいが同じ学校に通う家庭もあるだろうから、あくまで単純計算だが、700人からの人間が集まりゃ、イタいヤツ、もっと言ってしまえば警察のご厄介になっちゃいそうなヤツも、1人や2人くらい、そりゃいるだろう。児童・生徒数の多かったころなら、母数となる保護者数も多いのだから、もっといたかもしれない。

にも関わらず、当時は「モンスターペアレントが話題」になどなっていなかった。しかし、現在は、それを「モンスター」と呼ぶか否かは別として、学校で暴れて先生にケガをさせる保護者や、先生がうつになるまで追い詰める保護者が確かに存在する。

その理由はなんなのか。個人の権利意識、消費者意識が間違った方向に肥大化しているからなのか。学校や先生の保護者対応能力が低下しているから、保護者の苦情がエスカレートしているのか。そして、どうやったら解決できるのか。

これを探るのがメディアのお仕事であって、その実、大して珍しくもない事例に「モンスター」だの「急増」だの「話題」だのと面白おかしいレッテルを貼って読み手を挑発することじゃあない。冒頭リンクの記事に戻ってみるに

社会ルールや医療に関する理解をもう少し深めてほしい

小中学校での性教育の充実をはかり、出産に関することなど、性に関する基礎知識を子どものころから正しく教えることが必要なのでは

という院長の言葉が、とってつけたように書かれているが、こんな総論的な言葉だけを紹介したところで「モンスターハズバンド」(w)問題解決のなんの足しにもならない。社会的ルール、医療に関する理解、性知識を深めるにはどうすればいいのか。これを検証できなきゃ、なんの意味もない。

本エントリのタイトルはヒジョーにアレだが、拙著『凶暴両親』に限らず、「モンスターペアレントの問題を深刻化しているのは、実はメディアなんじゃねぇか?」と指摘する声は少なくない。拙著と同時期に同じく新書という体裁で刊行された上に、著者が圧倒的にメジャーなため、敵に塩なぞ送りたくもないが、藤原和博川端裕人バカ親、バカ教師にもほどがある』では

モンスター、モンスターとことさら大きく言い続けると、今度は保護者が、まっとうな要求や提言すら、いままで以上にしにくくなりそうだ
という前提のもと、両氏が対談を展開する。尾木直樹バカ親って言うな!』は、一時は学校・教育行政を叩いていたのに、最近になって一転、保護者を叩くメディアの変わり身の早さを
問題の本質を深く考える必要はないと割り切っているふうにも見え
ると評す。

それでなくとも、メディアのみなさんは、藤原センセイや尾木センセイが大好きじゃないか。その彼ら(と、ついでにボク)の声に耳を傾けてみちゃあもらえないだろうか。

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2008/05/20

オレたちの闘いはまだ始まったばかりだ!

■WebSPA!「秘密結社鷹の爪団 独立愚連広報部『謝罪広告』」
http://spa.fusosha.co.jp/spa0014/ent_4042.php

Koho6一昨年10月以来『週刊SPA!』と「WebSPA!」で続けてきた、蛙男商会のアニメ&マンガ連載「秘密結社鷹の爪団 独立愚連広報部」が、本日発売の今週号をもって最終回を迎えることとなりました。

アニメ業界の一般的なビジネスモデルにならい、まずは連載作品のストックを貯め、それをとりまとめたDVDを発売することで制作資金を回収することをもくろんでいたものの、その内容はといえば、ことあるごとに自民党前副総裁に赤ちゃんプレイにいそしんでいただいたりと、政治家、タレントから上場企業まで、触るもの、みな、ぶった斬るタチの悪いシロモノ。「1週間のやり逃げだから勘弁してもらえてるんじゃね」「アーカイブするのまずくね」という、大人としてまったくもって正しい意見が各所から浮上するのに、そう時間はかかりませんでした。

それでも1年半はがんばってみたものの、連載を続ければ続けるほど、叱られる理由ばかりが増え続ける豊作貧乏状態に、ブレイン一同、さすがに辟易。「最後、テキトーに謝って、やめちまおうぜ」とばかりに、戦略的撤退を図ることと相成りました(8割ウソ、2割ホント)。

次々週からは、親子そろって楽しめるファミリーアニメ連載に大幅リニューアルします。こうご期待!

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2008/05/19

他山の石

って格言がこれっぽっちも身にしみていない告知!

沢本あすかインタビューがなにかと波紋を呼んでいる今売りの『週刊SPA!』の第1特集「[ネットの深刻トラブル]被害報告」で、荻上チキさんのインタビューをやってます。

自身のインタビュー掲載誌を1号勘違い。1カ月遅れで告知しただけ、というプリティにもほどがある勘違いが、なぜか炎上騒動にまで発展した声優・長谷川静香のブログの一件を例に「最近、みんな、ネットの筆禍事件や炎上にビビリすぎてね?」なんて話を聞きに行ったんですよ。それなのに、その記事を宣伝しているのが、店頭から雑誌が消える(次週号と入れ替わる)5時間前とは、これいかに? オレもどなたかに“矯正”していただきたい!

1/3ページ程度ながら、いいこと書いたつもりなんだよなぁ。みなさんの大好物であるところの「イマドキの情報リテラシーとはなにか?」ってことについて、具体的かつ、教育現場でも使えそうな(要は実践的な)回答を聞けたつもりなんだよなぁ。

キーワードは「移動可能性」と「開放度の操作」。「テメーの昼飯の話なんぞチラシの裏にでも書いとけ」。今すぐコンビニにダッシュ! もしかしたら、読めっかも。

あと、まるで余談ながら、原稿を書いているとき、荻上さんのプロフィールを調べて軽く絶望した。'81年生まれってなんだよ。頭が良くて、言葉のキレのいい若者を見ると、うらやましいやら、ムカツくやら。ボンクラ三十路は嫉妬しかできん。いいなぁ。

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2008/05/14

藤崎詩織にフラれると悲しいけどさぁ

彼女って実は実在しないんだよね、というお話(なのか?)

■ITMedia「小寺信良の現象試考:インターネットの教科書を作ろう」
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0805/12/news010.html

小寺信良氏らが発起人となっている「インターネット先進ユーザーの会」(MIAU)が、子どもと保護者に向けた情報リテラシー教育のサブテキストを作るという。先日、拙ブログにおいて「情報モラル教育を学校やネット事業各社にやらせても、現状においては大した効果は望めない。それどころか、業者は『混ぜるな、危険』。アイツら、ゼニを儲けたい一心でロクなことをしやがらない」てなエントリを書いた。それだけに、まったくの第三者機関だろうMIAUがこのような取り組みを始めるのは、非常によろしい。発起人のひとりに小学校来の友人・津田大介がいるからといって、お上手を言っているわけではない。本当にいいことだと思う。

だけど、残念ながら、現状では「大筋で」しか賛成したくない。「まだ構想段階なんだから、あんまクサすなよ」と思う自分もいるが、上記記事中の提言は、ぶっちゃけ粗い。

小寺氏は単に教科書的なテキストを作るだけでは不十分。転ばないことには自転車の乗り方を覚えられないのと同じく、ネットの世界をスマートに歩くには、失敗を通じて、リカバリングの技術を知ることが必要だと言う。

例えばネットイジメの問題にしても、これらの教科書で語るだけでは、十分ではないかもしれない。では人工知能プログラムを使って、架空の人格をいじめる経験をしてみるのはどうか。そしてそれとセットで、よってたかって人工知能プログラムにいじめられる経験をしてみる。

これまで我々は、特定の存在へ無理に理由付けして攻撃・排斥したときに得られる原始的な感情とはなにか、それを得ることの代償に失うものは何かといったことを、人生そのものを賭けて学習するしかなかった。しかしそれがプログラムによって仮想的に学習できるのであれば、それは人類がかつて経験したことのない体験となるだろう。

「特定の存在へ無理に理由付けして攻撃・排斥したときに得られる原始的な感情」なんて、なんだか難しそうなものの正体は、三流大卒だからだろうか、イマイチわからないが、代わりにギャルゲーについてはちぃたぁ詳しいつもりだ。ここは『ときメモ』を例に考えてみよう。

ゲーム途中、ヒロインである藤崎詩織ちゃんの愛情パラメータに爆弾マークが付こうものなら(要は嫌われれば)、ちょっと(相当?)ヘコむし、逆に卒業式当日、伝説の樹の下に呼び出されようものなら(要は詩織ちゃんをモノにできれば)、相当萌え(惚れ)る。確かに人工知能相手とはいえ、罵詈雑言を浴びせることを体験すれば溜飲が下がる自分がいることに気づけるかもしれないし、反対に罵られて傷つくことも経験できるかもしれない。

だけど、この訓練によって、子どもが「ネットで悪口を書くと確かに気が晴れるけど、逆にやられると傷つくから、書いちゃいけないと思う」という結論に至るかといえば、正直怪しい。

道徳教育の世界には「役割演技」というものがあるそうだ。「高圧的なAくん」と「気の弱いBくん」というように、複数の子どもにそれぞれキャラクターを与えて、ちょっとしたエチュードをやらせることで、互いの気持ちを理解してもらおう、という指導法だ。一見、ネットイジメ用人工知能を使った訓練もこれに似ているが、実は決定的に違う。

役割演技指導の第一人者である江橋照雄氏によると、役割演技には、役割の交代が必要なのだそうだ。立場を入れ替えることで、相手の気持ちを真に知ることができ、効果も上がるという。

■光村図書「役割演技と子どもの目線」
http://www.mitsumura-tosho.co.jp/Kyoka/doutoku/kyo_doutoku_sakusha/sakusha02/tejinasi_02.asp

江橋:(前略)役割を交代することで一層相手の立場に立ったり、立場を理解することができる。それを抜かしてしまうと、一方の体験だけで終わってしまうんで、効果が半減どころか3分の1くらいになってしまうんです。
人工知能相手じゃ、役割を「交代」できない。だから、江橋氏言うところの「一方の体験」が2つ用意されるだけだ。

すごく当たり前のことだが、子どもがなんぼ疑似ネットイジメをしようとも、人工知能はこれっぽっちも傷つきはしない。イジメられているときも、イジめる人工知能はなんの喜びも覚えちゃあいない。詩織ちゃんをなんぼ攻略しようとも、多くの人が彼女を「オレのカノジョ」とは呼ばない(実在しない以上、詩織ちゃんがボクに惚れてくれている保証がないから)ように、そこに傷つけた(傷つけられた)相手がおらず、体験を共有できない以上「ああ、ボクの書き込みのせいで、彼はこんなに傷ついていたのか」とは気づきにくいのではないだろうか。単にイジメることの面白さ(不謹慎な言い方ではあるが)と、イジメられることの絶望だけが浮き彫りになりかねない。

イジメられっコが自分に対するイジメが止んだ瞬間、イジメっコにジョブチェンジするのは、よくあるお話だ。たとえ、そこに相手が実在していたとしても、子どもはイジメられることからなど、なにも学びはしないおそれもある。単にイジメることと、イジメられることのメンタリティを教えるだけでは、江橋氏言うところの3分の1程度の効果すら得られないかもしれない。

正直、ことネットイジメ云々の提言はイマイチ実効性に欠くように思える。「ITを使った情報リテラシー教育」という、いわゆる教育プロパーからは出てこないだろうアイデアを提出することで、MIAUの優位性をアピールしたいためだけのものに見えてしまう。

さぁ、暴論を吐こう。

ネットでの口論・攻撃の対処法を学ばせたいなら、仮想の掲示板かなんかを用意して、子ども同士に罵り合いをさせりゃあいいのだ。言うなれば、道徳の時間の役割演技のネット版だ。

役割演技は、単にエチュードをさせればいいというものではない。しかるべき指導者が「見取り」というか、子どもが理想的な結論を導き出せるようにディレクションする必要がある。当たり前っちゃあ当たり前だ。子どもに擬似的とはいえ罵り合いなんぞさせるだけでは、いずれガチにも発展しかねん。調整役・監視役が必要だ。

それはさておき、ねらいどおりの心性に目覚めてもらうために指導的立場が必要ならば、その役割を、それこそ「インターネット先進ユーザー」たるMIAUの面々が担えばいい。

ニュースサイトの寄稿記事や個人ブログのエントリはおろか、Twitterの発言すらも多くの人々にチェックされ、正当な反論から流言飛語まで、ありとあらゆるツッコミに晒されている彼らなら、まさしく教育プロパーからは出てこないだろう提言をできるはずだ。単に「ネットイジメはいけないよね」と教えるだけでなら教育屋にだってできる。しかし、彼らなら「ツッコまれる側もスルー力を上げろ」とリアリティを持って指導できるかもしれない。「イタいネットユーザーを見かけても、そこは儀礼的無関心でヨロシク」とかね。

教育の世界がこれまでに培ってきた技術を援用しつつ、先生が知らないだろうイマドキのネットユーザーのあり方を指導する。これこそが、MIAUがすべき提言なんじゃないだろうか。










で、締めくくれればカッコいいんだろうけど、この論も結構粗いんだよなぁ。だから、暴論なんだけど。

まず、役割演技の指導って、スゲー難しいんだって。いきなり「はい、君は○○役で、あなたは××役。さあ、お芝居してください」って言われたって、大人ですら、満足にその役割をまっとうできないよね。相手が子どもなら、言わずもがな。それに、教育のプロである先生ですら、子どもたちからエチュードをすることに対する照れやおじけを取っ払うことは結構難しいらしい(そんななか、上手にクラス全体のムードを作れるからこそ、江橋先生は第一人者なんだそうな)。まあ、だからこそ、人工知能相手のひとり芝居もちょっとムチャな気がする。

あと、もしかしたら、役割演技を通じて、イジメられることに快感を覚えるコだっているかもしれない。他人がどんな性癖に目覚めようと、そんなこたぁ、どーでもいいのだが、魚心あれば水心。イジメられたがるヤツがいれば、イジメっコをムダに増長させることにもなる。それに、子どもは千差万別だけに、こういう行き過ぎた妄想レベルの懸念ですら想定、フォローしてこその教育なんだけど、半面、レイプ願望でもない限り、性癖って教育や倫理、法なんかでどうこうしていいお話じゃないよね。疑似イジメなんて手法そのものを疑わなきゃいけないのかもしれない。

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2008/05/11

そんな教育系ライター

20080424hotspa■WebSPA!「マッスル坂井の『スーパー下流レスラードキュメント!』」
http://spa.fusosha.co.jp/hotspa/muscle/

今さらも今さらですが、4月24日売りの『H♂tSPA!』誌5月24日号「マッスル坂井の『スーパー下流レスラードキュメント!』」をなぜか執筆しています。

その名のとおり、本来の著者は、プロレスラーのマッスル坂井さん。毎回、ご自身が主宰するイベント「マッスル」に登場するレスラーをイジるトンマな映像を撮影。「WebSPA!」で公開するのと同時に、その裏話を誌面で展開する連載なのですが、4月中旬、坂井さんが親知らずをこじらせ、入院。原稿を書けない事態に陥ったため、差し替え企画のライターとしてお鉢が回ってきた次第。

その差し替え企画とは「マッスル坂井を語ろう座談会」。男色ディーノ、藤岡典一、Mr.マジック、DDT・高木三四郎社長の自伝『俺たち文化系プロレスDDT』の担当編集各氏に、半ヤオ半ガチで、坂井さんについて大いに語っていただいてます。

紙幅に制限があるため、誌面では、そのエッセンスを抽出するのみに留まっていますが、映像がいい意味でヒドい(笑)。ワンカメ据え置きで小一時間回しっぱなし。ただただ坂井さんの悪口を言い続ける映像をほぼノー編集で公開しています。これぞ、メディアミックスのムダ遣い。

ヒマでヒマで死ぬかもしんないけど、もうチンチンがモゲるんじゃないかってほど、オナニーしちゃったし、いよいよやることもない。そんなときにでも観てみてください。ボクは、これから、妙にオモロかった『紅』第6話を観返しますが、なにか?

あっ、あと、誌面に入院中の坂井さんとお母様のツーショット写真が載ってます。

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