彼女って実は実在しないんだよね、というお話(なのか?)
■ITMedia「小寺信良の現象試考:インターネットの教科書を作ろう」
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0805/12/news010.html
小寺信良氏らが発起人となっている「インターネット先進ユーザーの会」(MIAU)が、子どもと保護者に向けた情報リテラシー教育のサブテキストを作るという。先日、拙ブログにおいて「情報モラル教育を学校やネット事業各社にやらせても、現状においては大した効果は望めない。それどころか、業者は『混ぜるな、危険』。アイツら、ゼニを儲けたい一心でロクなことをしやがらない」てなエントリを書いた。それだけに、まったくの第三者機関だろうMIAUがこのような取り組みを始めるのは、非常によろしい。発起人のひとりに小学校来の友人・津田大介がいるからといって、お上手を言っているわけではない。本当にいいことだと思う。
だけど、残念ながら、現状では「大筋で」しか賛成したくない。「まだ構想段階なんだから、あんまクサすなよ」と思う自分もいるが、上記記事中の提言は、ぶっちゃけ粗い。
小寺氏は単に教科書的なテキストを作るだけでは不十分。転ばないことには自転車の乗り方を覚えられないのと同じく、ネットの世界をスマートに歩くには、失敗を通じて、リカバリングの技術を知ることが必要だと言う。
例えばネットイジメの問題にしても、これらの教科書で語るだけでは、十分ではないかもしれない。では人工知能プログラムを使って、架空の人格をいじめる経験をしてみるのはどうか。そしてそれとセットで、よってたかって人工知能プログラムにいじめられる経験をしてみる。
これまで我々は、特定の存在へ無理に理由付けして攻撃・排斥したときに得られる原始的な感情とはなにか、それを得ることの代償に失うものは何かといったことを、人生そのものを賭けて学習するしかなかった。しかしそれがプログラムによって仮想的に学習できるのであれば、それは人類がかつて経験したことのない体験となるだろう。
「特定の存在へ無理に理由付けして攻撃・排斥したときに得られる原始的な感情」なんて、なんだか難しそうなものの正体は、三流大卒だからだろうか、イマイチわからないが、代わりにギャルゲーについてはちぃたぁ詳しいつもりだ。ここは『
ときメモ』を例に考えてみよう。
ゲーム途中、ヒロインである藤崎詩織ちゃんの愛情パラメータに爆弾マークが付こうものなら(要は嫌われれば)、ちょっと(相当?)ヘコむし、逆に卒業式当日、伝説の樹の下に呼び出されようものなら(要は詩織ちゃんをモノにできれば)、相当萌え(惚れ)る。確かに人工知能相手とはいえ、罵詈雑言を浴びせることを体験すれば溜飲が下がる自分がいることに気づけるかもしれないし、反対に罵られて傷つくことも経験できるかもしれない。
だけど、この訓練によって、子どもが「ネットで悪口を書くと確かに気が晴れるけど、逆にやられると傷つくから、書いちゃいけないと思う」という結論に至るかといえば、正直怪しい。
道徳教育の世界には「役割演技」というものがあるそうだ。「高圧的なAくん」と「気の弱いBくん」というように、複数の子どもにそれぞれキャラクターを与えて、ちょっとしたエチュードをやらせることで、互いの気持ちを理解してもらおう、という指導法だ。一見、ネットイジメ用人工知能を使った訓練もこれに似ているが、実は決定的に違う。
役割演技指導の第一人者である江橋照雄氏によると、役割演技には、役割の交代が必要なのだそうだ。立場を入れ替えることで、相手の気持ちを真に知ることができ、効果も上がるという。
■光村図書「役割演技と子どもの目線」
http://www.mitsumura-tosho.co.jp/Kyoka/doutoku/kyo_doutoku_sakusha/sakusha02/tejinasi_02.asp
江橋:(前略)役割を交代することで一層相手の立場に立ったり、立場を理解することができる。それを抜かしてしまうと、一方の体験だけで終わってしまうんで、効果が半減どころか3分の1くらいになってしまうんです。
人工知能相手じゃ、役割を「交代」できない。だから、江橋氏言うところの「一方の体験」が2つ用意されるだけだ。
すごく当たり前のことだが、子どもがなんぼ疑似ネットイジメをしようとも、人工知能はこれっぽっちも傷つきはしない。イジメられているときも、イジめる人工知能はなんの喜びも覚えちゃあいない。詩織ちゃんをなんぼ攻略しようとも、多くの人が彼女を「オレのカノジョ」とは呼ばない(実在しない以上、詩織ちゃんがボクに惚れてくれている保証がないから)ように、そこに傷つけた(傷つけられた)相手がおらず、体験を共有できない以上「ああ、ボクの書き込みのせいで、彼はこんなに傷ついていたのか」とは気づきにくいのではないだろうか。単にイジメることの面白さ(不謹慎な言い方ではあるが)と、イジメられることの絶望だけが浮き彫りになりかねない。
イジメられっコが自分に対するイジメが止んだ瞬間、イジメっコにジョブチェンジするのは、よくあるお話だ。たとえ、そこに相手が実在していたとしても、子どもはイジメられることからなど、なにも学びはしないおそれもある。単にイジメることと、イジメられることのメンタリティを教えるだけでは、江橋氏言うところの3分の1程度の効果すら得られないかもしれない。
正直、ことネットイジメ云々の提言はイマイチ実効性に欠くように思える。「ITを使った情報リテラシー教育」という、いわゆる教育プロパーからは出てこないだろうアイデアを提出することで、MIAUの優位性をアピールしたいためだけのものに見えてしまう。
さぁ、暴論を吐こう。
ネットでの口論・攻撃の対処法を学ばせたいなら、仮想の掲示板かなんかを用意して、子ども同士に罵り合いをさせりゃあいいのだ。言うなれば、道徳の時間の役割演技のネット版だ。
役割演技は、単にエチュードをさせればいいというものではない。しかるべき指導者が「見取り」というか、子どもが理想的な結論を導き出せるようにディレクションする必要がある。当たり前っちゃあ当たり前だ。子どもに擬似的とはいえ罵り合いなんぞさせるだけでは、いずれガチにも発展しかねん。調整役・監視役が必要だ。
それはさておき、ねらいどおりの心性に目覚めてもらうために指導的立場が必要ならば、その役割を、それこそ「インターネット先進ユーザー」たるMIAUの面々が担えばいい。
ニュースサイトの寄稿記事や個人ブログのエントリはおろか、Twitterの発言すらも多くの人々にチェックされ、正当な反論から流言飛語まで、ありとあらゆるツッコミに晒されている彼らなら、まさしく教育プロパーからは出てこないだろう提言をできるはずだ。単に「ネットイジメはいけないよね」と教えるだけでなら教育屋にだってできる。しかし、彼らなら「ツッコまれる側もスルー力を上げろ」とリアリティを持って指導できるかもしれない。「イタいネットユーザーを見かけても、そこは儀礼的無関心でヨロシク」とかね。
教育の世界がこれまでに培ってきた技術を援用しつつ、先生が知らないだろうイマドキのネットユーザーのあり方を指導する。これこそが、MIAUがすべき提言なんじゃないだろうか。
で、締めくくれればカッコいいんだろうけど、この論も結構粗いんだよなぁ。だから、暴論なんだけど。
まず、役割演技の指導って、スゲー難しいんだって。いきなり「はい、君は○○役で、あなたは××役。さあ、お芝居してください」って言われたって、大人ですら、満足にその役割をまっとうできないよね。相手が子どもなら、言わずもがな。それに、教育のプロである先生ですら、子どもたちからエチュードをすることに対する照れやおじけを取っ払うことは結構難しいらしい(そんななか、上手にクラス全体のムードを作れるからこそ、江橋先生は第一人者なんだそうな)。まあ、だからこそ、人工知能相手のひとり芝居もちょっとムチャな気がする。
あと、もしかしたら、役割演技を通じて、イジメられることに快感を覚えるコだっているかもしれない。他人がどんな性癖に目覚めようと、そんなこたぁ、どーでもいいのだが、魚心あれば水心。イジメられたがるヤツがいれば、イジメっコをムダに増長させることにもなる。それに、子どもは千差万別だけに、こういう行き過ぎた妄想レベルの懸念ですら想定、フォローしてこその教育なんだけど、半面、レイプ願望でもない限り、性癖って教育や倫理、法なんかでどうこうしていいお話じゃないよね。疑似イジメなんて手法そのものを疑わなきゃいけないのかもしれない。