2008/11/28

ブログを移転します

■三十路でアニメ@hatena
http://d.hatena.ne.jp/narima74/

このたび、拙ブログをココログからはてなダイアリーに移転することにいたしました。

「はてダへの移行を考えている」と話したところ、あるかた、というか速水健朗さんから「はてダはなんだか検索経由のアクセスが意外と少なめ。全方位的に開けているココログの方が長期的に見るとPVが集まるよ」とのアドバイスもちょうだいしたのですが、エントリの移転作業中「呪いなきオタク中学生」を3人のはてブユーザーのかたが捕捉。その瞬間からのアクセスの上がりようったら……。ブクマはもちろん、ダイアリーやら、トップページにすらホッテントリが表示されるはてなの仕組み、スゲー。その魅力にはどうしても抗いがたく、移転することを決めてしまいました。速水さん、ごめんなさい。

ココログを即閉鎖するわけではなく、そのままの状態にしておきますが、今後のエントリは、はてダに投稿いたします。ブラウザのブックマークやRSSリーダーに拙ブログをご登録のかたは、お手数ですが、ブックマーク先、RSSの取得先を上記URLからのものに変更をしていただけると幸いです。

最後になりますが、これからもよろしくお願いいたします。

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2008/11/18

いきなりキレるなっ! まずモニョれっ!

■ARTIFACT@ハテナ系「空気を読む文科省には、非専門家の安易な教育論は無視しろと言えばいい」
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20081118/education

先日、加野瀬未友さんが「ARTIFACT@ハテナ系」に記したエントリ「『日本語が亡びるとき』を読まずに騒動だけ見た感想」が、いらぬ誤解を招いたようなので、訂正しよう、というのが↑のエントリ。「『日本語が亡びるとき』を読まずに~」に書いた、

基本的に非教育分野の人が「教育で○○すべし」という教育論系の書籍はトンデモまじっていること多いんで、まず読まない。書籍だけではなく、そういう教育論をやたらとぶつ人は、大体ロクでもないんで、いいフィルタリングになってる。
というテキストが「非教育分野の人間は教育を語るな!」と言っているように取られてしまって困った、と加野瀬さんは言う。ボクも「『日本語が亡びるとき』を読まずに~」を読み、なんで異分野・異業種の人ですらみんなが教育論をぶちたがるのか、について書いてみた。そして、冒頭のリンク先ではその引用をしていただいている。しかも、

■狐の王国「空気読み国家の国民は「日本語が亡びるとき」をやっぱり読んでおけ」
http://d.hatena.ne.jp/KoshianX/20081115/1226775142

加野瀬さんにツッコミを入れた「狐の王国」には、以下のような一文がある。

とにかく教育は誰でも経験してるから簡単に語りがちだなんていって遠慮してる場合じゃない。
加野瀬さんは「教育は誰でも経験してるから簡単に語りがちだ」なんて、ひと言も言っていない。言ったのはボクだ。というわけで、勝手に当事者を気取ってコメントさせていただこう。

冒頭リンク先の引用箇所や、拙ブログの先日のエントリをお読みいただければわかるが、ボクはやたらと威勢のいいことを書いている。ざっくり言ってしまえば「オレ的教育論を語る人の一部はオナニーをしたいだけ」。我がことながらヒドいことを言う人もいたもんだ。

自己処罰はさておき、オナニーなんて書いてはみたものの、別に誰もが活発に教育談義をすること自体は否定しない。むしろ望ましいことだ。加野瀬さんは、

「非専門家の安易な教育論には価値がないと考えているので、自分としては耳を傾ける必要を感じていない」「安易な教育論を語る人間を自分は評価しない」というものだ。教育論を語りたい人にはどんどん語って欲しい。個人のフィルタリングが簡単にできるので、自分としては助かるから。
なんて少し意地悪な言い方をしているが、他人をオナニスト呼ばわりするボクですら「教育論を語りたい人にはどんどん語って欲しい」については大いに同意したい。「素人だからなどと尻込みしていると、大声を張り上げるバカの珍論奇論がまかり通る。みんな、もっと声を上げるべき」と語る「狐の王国」にも、もちろん賛成だ。

学校を揶揄する言葉に「学校の世間知らず」というものがある。学校、保護者、そして社会が「先生を国の宝たる子どもを育てる『聖職』、学校をその子どもが集まる『聖域』」というアンタッチャブルな存在に仕立てたばっかりに、先生や学校の価値観が世間様とちょいとズレちゃあいませんか? というお話だ。

「営業的性格を持たない仕事だから交渉ごとや謝罪が極端に苦手で、経済活動をしないからおカネが絡んだトラブルの処理がヘタ」なんていうのが「学校の世間知らず」派の主な意見。また、個人的には、ジャージで教壇に立つ先生もどうかと思う。チョークで服が汚れるのがイヤなのはわかるけど、体育の先生でもない限り、スーツを着ようよ。子どもの服装検査をするご身分なんだからさぁ。それ以前に地方公務員なんだし。

かようにツッコミどころの多い先生と学校ではあるが、先生とて、いや、先生だからこそバカじゃあない。自分たちと世間様がどこかズレていることは十分承知しているのだ。ただ、先生に限らず、自分は他人と「どこがズレているのか」なんて簡単に自己認識できはしない。だから、拙著『凶暴両親』の取材時、お話をうかがった先生の多くは、学校にクレームが寄せられること自体は「当然のこと」と受け止めている。むしろ、自分では気づきにくいから「お前ズレてるよ」とツッコんでほしいとすら希望する。

「狐の王国」では「空気を読むこと」についてネガティブに語られるが、自らに「世間知らず」という弱点があることを知っているからこそ、先生や学校、文科省は「空気を読みたい」と望んでいる。ならば、プロアマ問わず、大いに教育について語るべきだ。そして、世間の空気を教えてやるべきなだろう。

ただ、門外漢の語る教育論の多くがボクには陳腐に映ってしかたがないのは事実。オナニーなら隠れたところでやってくれ。

門外漢とて議論はすべきだが、その主張はたいてい安く見える。このジレンマを解消するには、単純に口の利き方に注意すればいい。上記引用の加野瀬さんの言葉のように、ド素人が考えなしに「○○すべし」と断言してしまうから、それを聞かされる先生はおろか、ボクらですら「バカじゃねぇの」と閉口したくなってしまう。本やブログを書く人ならいざ知らず、保護者会の席上の父母ですら、会話の初手から強い調子で言い切っちゃうのはどうしてだろう。無知のまま大声でトンデモを叫ぶバカは、最悪「モンスターペアレント」なる、名誉毀損以外のなにものでもないレッテルをちょうだいすることになるにも関わらず、だ。

結局、どうすればいいのか。

疑問文に置き換えりゃあいいのだ。「体罰を容認すべし!」「授業時数を増やすべし!」と言うから、聞く気が失せる。

「オレが子どものころは、しょっちゅう先生にゲンコツもらってたもんだけど、最近は『子どものジンケンをソンチョー』とやらで殴っちゃいけなくなったんスか?」

「先生、ニュースなんかで『ゆとり教育は子どもをバカにする』なんて言ってますけど、あれ、マジっすか? マジならチョーおっかないんですけど」

と尋ねることはできないのだろうか。この言い回しなら当たり障りがないし、まず無視もされない。聞かれた先生は、なにかしらの回答を返してくれるはずだ。しかも、素朴な疑問とも受け取られまい。回答者である先生は「ああ、この人は体罰をアリだと思ってるな」「ゆとり教育にあまりいいイメージを持っていないな」と、裏に潜む質問者の意図、主張を察してくれるはずだ。そして、きっと、体罰の是非について、ゆとり教育の成否について、プロという立場から意見してくれる。もしも、それが世間からあまりにズレた「空気の読めていない」意見だったなら反論すればいい。そんな手順を踏んだって、遅きに失することはないはずだ。

教育について、ひいては政治や社会について、みんながアレコレ考えて、議論することが無益なわけがない。ただ言い方ってもんがあるだろう。

これがボクの結論だ。そして、その言い方について書かれた1冊をボクはスゲー知っている。下のアマゾンリンクがそれだ。そう、ここまでダラダラ書いてきたことは、すべて拙著の宣伝だ。売文屋のはしくれである以上、たとえ己のブログに書き殴った駄文とてカネに替えさせていただきますが、なにか?

ついでにもうひとつ。先生や学校、文科省は、けっしてバカの大声に押し流されたりはしない。むしろ、十分に「空気を読んで」議論を重ねている。

「狐の王国」の外国語教育のくだりを例に出すなら、教育再生会議を発足したりと、教育施策にやたらと熱心だった安倍総理は、当時「小学校でも外国語教育をすべし」と、いかにもなオレ節教育論をブチ上げた。ところが、その右腕たる伊吹文科大臣は「美しい日本語を操ることすらおぼつかない小学生に外国語なんて教えても混乱するだけ。安易に『外国語、外国語』言うな」と、子どもの発達段階を踏まえた上で、これをバッサリ斬り捨てた。そして、その後、議論を経てから、ようやく今年3月告示の新学習指導要領において、はじめて小学校での外国語教育が必修と相成っている(実際の運用は来年度からなので、小学校での外国語教育の是非については、今はさておく)。

また「空いた時間を国語に突っ込んで、とにかく読解力と国語で書く力を上げさせる」との見解についてだが、新指導要領には「小学校1~5年生において国語の授業時数を増やすべし」とある。狐の王国の管理人氏のような理知的な人々の意見や主張は、ちゃんと文科省に届いているのだ。

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2008/11/12

ボクにも語れた教育論

■ARTIFACT@ハテナ系「『日本語が亡びるとき』を読まずに騒動だけ見た感想」
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20081111/japaneseruined

水村美苗『日本語が亡びるとき』を巡って、ネット界隈であれやこれやの議論が巻き起こっている。まあ、それはどうでもよろしい。残念ながら読んでいないため、テキトーなことを書き散らそうものなら(書く気もないが)、リンクの加野瀬さんの言葉のとおり、ボクは「『読まずに批判するバカ』『本を読まずに内容がわかるエスパー』という箱」に放り込まれてしまう。

それでも、このエントリを書いてみたのは、ARTIFACT@ハテナ系に以下の一文があったから。

基本的に非教育分野の人が「教育で○○すべし」という教育論系の書籍はトンデモまじっていること多いんで、まず読まない。書籍だけではなく、そういう教育論をやたらとぶつ人は、大体ロクでもないんで、いいフィルタリングになってる。教育論って、別に専門知識なくても、誰でも何か言えちゃう分野だから、そういう人が混じりやすいんだろうけど。
いや、お見事。素晴らしい見識だ。

実は、拙著『凶暴両親』でも、モンスターペアレント問題をはじめ、教育問題が起きると、ワイドショーのコメンテーターからタクシー運転手にいたるまで、みんながみんな、嬉々としてオレなりの教育論を語りたがるのはなぜか。そして、それがいかに空疎なものなのかについて結構なページを割いてエラそうにぶたせていただいている(というか、モンスターペアレント問題の処方箋よりも、そっちが主題の本だ、アレは)。同じことを語っておきながら、なぜ加野瀬さんのエントリは多くの人々に届き、ボクの本は、あまりに申し訳なくて担当編集の顔がまともに見られないほど売れないのか。出版不況が原因なのか。ボクの筆力不足ゆえなのか。考えれば考えるだけ、うつがヒドくなりそうなので、次に進もう。

さて、なぜ「教育論って、別に専門知識なくても、誰でも何か言えちゃう分野」なのか。これは実に簡単。日本人の大半が学校に通っていた時期があるから。そして、今、我が子を学校に通わせる立場だから。学校のエンドユーザーだった、または、今現在エンドユーザーだから「学校とはどんなものなのか」をイメージしやすい。

そして、想像に及ぶことは語りやすい。『凶暴両親』の中では「サブプライムローン問題」を引き合いに出したが、アメリカの低所得者層向け住宅ローンがこげつくと、なんで日本が左前になるのか。それをどう克服すべきかなど、経済評論家でもない限り、クリアに解説できる人はそうはいないはず。金融や投資の現場にいないから。ところが、教育問題の場合、誰もが学校という現場に立っていた(立っている)という「当事者意識」があるから、とりあえず、なんらかの感慨、感想、意見を抱く。そして、意見があるから、発表、議論したくなる。「オレが子どものころは先生に平気でぶたれたもんだ。だから体罰を容認しろ」「今の学校はゆとり教育で授業時数が少ない。これじゃ頭が悪くなる。詰め込み型教育を復活させろ」。

でも、加野瀬さんの指摘のとおり、当事者意識バリバリの床屋政談チックな教育論は、たいてい陳腐だ。お前は先生から体罰を受けたおかげでスクスク育ったのかもしれないし、当時の学校生活がスゲー楽しかったのかもしれないけど、それが「今、学校に通っている子どもに体罰を与えるとスクスク育つこと」「グレないこと」の証明にはなるまい。体罰を受けた子どもと、受けなかった子どものスクスク度合いにはどのくらい違いがあるものか、体罰の効能を実証することもかなうまい。ゆとり教育以前の教育を受けた子どもたる自分が、今の子どもより賢いことを証明できるか、と言われれば、それもムリ。話題になりがちなOECDの学力調査結果を持ち出すつもりなら、勘弁願う。あれ、ゆとり教育導入後から実施された調査だから、いわゆる「ゆとり」の子の学力の推移を知る指標にこそなれど、ゆとり以前の子どもよりバカなことの証拠にはならない。

結局、今の学校の現状や「公」教育のあり方、お上の教育政策など、まるで知りもしないまま、めいめいの美しい(と信じ込んでいる)想い出と報道(の中でも自分に都合のいいもの)だけを根拠に私論をぶっているだけ。こんなもの、夜な夜な飲み屋の酔客どもがプロ野球やサッカーナショナルチームの采配を云々するのと同じ。あれも、ガキのころの草野球や体育の授業のサッカーの経験とスポーツ新聞の記事をもとに、プロフェッショナルの仕事に対して知った風な口を利いているだけなんだから。

あと、年寄りの語る教育論は「今の若いモンは!」の置き換え語。イマドキの若者に不満があるから、その原因を教育に求めたがる。「オレらのころの学校はこうだったのに、今はああだから、若者がダメになっている。オレの生き方を見習え」って言いたいんだろう。そして、もうひとり、今現在、自分が不幸せだと思っている人も語りがち。今の不幸の原因を教育に求め、批判することで自分を慰めたいんだろう。教育オナニーだ。

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2008/11/07

オヤジを手斧でヤっちゃわない十代の嗜む『ひぐらしのなく頃に』

■age嬢とかすきすきにっき「オタク趣味を公言する読モはそう珍しい存在ではないのかしら」
http://d.hatena.ne.jp/age_jo/20081107/1226050344

↑は、拙ブログの「呪いなきオタク中学生」をリンクのみならず、補強してくださるエントリ。ティーン誌のモデルのコたちのブログからヲタっぽいホンネを引っ張り出している。マッシブなことになっているモデルブログのレイアウトや文字組みは、なかなかスパイシーだったが、非常に興味深く読ませていただいた。

曰く『nicola』モデル・高屋敷彩乃は、アニメ『コードギアス』の版権イラスト「浴衣姿のルルーシュ」に萌え転がり、『egg』『ポップティーン』『小悪魔ageha』のモデル・飛鳥バネッサは『ひぐらしのなく頃に』のファン。『Vanilla girl』の八鍬里美は、ゲーム『無双OROCHI魔王再臨』の石田三成(もちろん美形キャラにデフォルメ済み)に「みっくん」なるニックネームをつけて愛でている、と。確かにいずれのコンテンツも子どもの間で評判がよろしい。実際、高屋敷彩乃のブログにも「ルルーシュかっこいい・・・☆」とか「私は、ルルーシュよりもロロ派です」とか「ヲたく暦何年ですか?」なんてコメントが多数ぶら下がっている。「age嬢とか~」の管理人・age_joさんの指摘するとおり、若いライトオタクにはホントに屈託がないようだ。

上記コンテンツ群の中でも一番人気は『ひぐらし』だ。昨年、父親の首を斧で刎ねたコがコミックスを持っていたことが話題になったが、そんな「猟奇的な彼女」にだけ支持されているわけではない。以前、情報モラル系教材制作の参考に、多くの小(中)学生専用掲示板にアクセスしてみたところ、意外とマンガやアニメの話題は低調な中、どこにでも必ず『ひぐらし』スレは立てられていた。アニメ版『ひぐらし』のスレでは、その週放送になったエピソードの話題で盛り上がったり、次の展開を予想しあったりしていて、コミックス版のスレでは好きなシーンやキャラクターの話に華が咲く。ゲーム版のスレでは攻略法、っつうか謎解きが話題になっていた。

この小学生掲示板、教材の制作なんぞに携わっている身としては、結構勇気づけられる。スレ主、いわゆる「1さん」は「『ひぐらしのなく頃に』の話で盛り上がりましょう!」なんて宣言とともに、決まって「煽り、荒らし禁止」「ネタバレ禁止」というローカルルールを箇条書きにする。そして「2さん」以降は、それを意外とちゃんと守る。イタズラでアダルト画像を貼るヤツがいれば、直下に「エロ画像、注意」なんて書き込みが加えられ、ネタバレするヤツには「1を読め」とツッコミが入る。自治、自浄作用がちゃんと働くのだ。やるじゃん、子ども。

さて、ものの本によると、『ひぐらし』が子どもにウケる理由は、発達心理学で説明できるらしい。なんでも、子どもというのは小学校高学年くらいになると「抽象的思考」ができるようになるという。

数学の世界で抽象的思考というと、正方形だろうと、台形だろうと、平行四辺形だろうと、とりあえず、その形や大きさを無視して、四辺に囲まれた図形という共通の性質だけを取り出して「=すべて四角形」と関連づけられる力のことをいうのだが、ここで指すのはちょっと違う。

もはや小学校高学年ですら20年以上前のことのため、イマイチ実感は薄いが、小さいうちは「お天道様が見ているよ」と諭されても、あまりピンとはこない。なんなら「太陽がどうやってオレのことを見んだよ」くらいの頭の悪いことを考えてしまっていたらしい。ところが、小学校も5年生ともなると、それが「世間様」の比喩表現であることが、さすがにわかるようになる。この「お天道様」という「抽象的概念」が理解できることを、抽象的思考と呼ぶそうだ。歴史の授業が高学年で登場するのも、「昔」という抽象的な概念を理解できるようになるのが、そのくらいの年齢からだからといわれている。

で、抽象的思考が可能になると、妙な言い方だが、お化けのような、本来ありもしない抽象的なものを“怖がれる”ようになる。ローティーンの子どもが大人以上にホラーやオカルトが好きなのは、この抽象的思考に基づく恐怖が、これまで体験したことのない新鮮な刺激だから、というわけ。「閉鎖的な寒村の因習」だの「オヤシロさまの祟り」だのといった、それこそ目に見えないものばかりが物語の軸になっている『ひぐらし』は、彼らにとって、そら、たまらなくエキサイティングなんだろう。だから『ひぐらし』を愛読している子どもは叱っちゃいけない。それは、正しく心と脳が発達していて、ちゃんと抽象的思考術を獲得している証拠なんだから。

ちなみに、小学生掲示板で、もうひとつ人気のマンガ・アニメが『銀魂』。『ひぐらし』同様、たいていの掲示板に決まって1つはスレッドがある。一方で抽象的思考なんて高度な技術を身につけておきながら、なんのかんのでウンコやチンコが大好き! バカだなぁ、子ども。

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2008/11/06

成海璃子の音楽センス

『Hana*chu→』でもうひとつ。

12月号「ハナチューモデル&読モに聞きましたっ! ウチらの『着うた』 今はこの曲」。だいたいのコが、KOH+だの、絢香×コブクロだの、GReeeNだの、童子-Tだの、aikoだの、安室奈美恵だの、浜崎あゆみだの、悲愴感だのをチョイスするなか、成海璃子の着うたは椎名林檎『丸の内サディスティック』と、SUPER BUTTER DOGの『サヨナラCOLOR』。いいね、こういう中2病丸出しのトンガリかた。

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2008/11/05

呪いなきオタク中学生

先日「雑誌『Hana*chu→』曰く、ハルヒダンスが中学生の間でちょいと熱いことになってるらしいよ」というエントリを記した。エントリをお読みいただければわかるが、雑誌記事中に女子中学生のコメントがあるわけじゃなし、正直な話、当時は「女子中学生はみ~んな『ハレ晴れ~』の振りをマスターしてる!」と言い切ることはできなかった。「もし、ファッション誌読者=ケータイ小説読者が『ハレ晴れ~』に興味があるなら、クラスのラノベ君と仲良くしてみてほしい」というエントリのオチに対して、ちょうだいしたのだろう

先入観なく受け入れられるのだろうか
という、はてブコメントについても「おっしゃるとおり、確かに難しいのかなぁ」なんて共感したりしていた。

が、ここ最近、ちょっと認識をあらためようとしている自分がいる。というのも、いまだ言い切ることはできないまでも「ホントにちぃとは熱いのかも」と思わせてくれる雑誌記事にいくつか出くわしたのだ。

ひとつめは、やっぱり『Hana*chu→』。その10月号では「さぁ、2学期! ウチら花の中学生 やっぱ学校オモロー!」なる大特集が展開されている(まるで余談だが、こんくらい、やたらなテンションの惹句、キャッチの書ける立派なライターに私はなりたい)。

これがホントに大特集で、全国の読者を対象に、通学カバンの中身やら部活動自慢、給食自慢、学校の名物、学年別制服改造に関する暗黙の了解事項など、中学生活に関するありとあらゆることについてアンケート調査を敢行。代表的な回答や一風変わった回答を学校名付きで紹介している。

で、注目したいのが「全国中学生に聞きましたーっ! いま『お昼の放送』でコレかかってまーすっ!」。「給食の時間に流れる校内放送では、どんな曲がかかっていますか?」という調査項目だ。

お昼はオルゴールミュージック(って古い?)なんて思ってたら、みんなの学校ではMステ並みのヒット曲オンパレード♪
とのキャッチのとおり、北海道江別野幌中学校では大塚愛の『ロケットスニーカー』が、そして神奈川県横浜女学院中学校ではPerfume『ポリリズム』、茨城県佐野中学校では絢香『おかえり』、広島県廿日市中学校では羞恥心『泣かないで』が流れていますよ、といった具合。そのほか『ポニョ』の歌とか、宇多田ヒカルとか、いきものがかりとか、紹介されている24校がセレクトした楽曲、ミュージシャンは、どれも売れ線ばかりなのだが、その中にバッチリ入っているわけだ。岩手県盛岡仙北中学校の『ハレ晴れユカイ』と、秋田県大館第一中学校の『もってけ! セーラーふく』が。

繰り返すが、これは読者対象のアンケート結果。曲を流すのは放送委員や放送部員だろうが、『Hana*chu→』編集部に「ウチのガッコの昼メシ時には『ハレ晴れ~』が流れてるよ」とレポートしたのはファッション誌の読者だ。そんなオサレさんたちが、ちゃんと『ハレ晴れ~』や『もってけ!~』の存在を認識しているわけだ。そして、わざわざアンケートに書いてよこすのだから、おそらく愛聴していたり、面白がったりしているのだろう。

もうひとつの記事は、新潮社の女子中学生誌『nicola』12月号「まりきょんがたまる! 渋谷&原宿クルーズ密着!!」。同誌一番人気なのだろう専属モデルの西内まりや日南響子(ふたりの名前を合わせて「まりきょん」のようだ)が、自身も通う(たまる)という原宿と渋谷のプレイスポットを紹介する企画だ。

カラオケボックス「歌広場 渋谷センター街本館」を紹介するカコミには、ふたりのカラオケレパートリーが載っているのだが、まりきょんのきょん担当、日南のセレクトが異常に偏っていて面白い。『もってけ! セーラーふく』に、ALI PROJECTの『禁じられた遊び』(麻生太郎閣下も大好き『ローゼンメイデン』のアニメ版の主題歌)と『恋せよ乙女』。全7曲中3曲は、そっち系だ。ニックネームが「きょん」だからだろうか。

同ページ中には、ふたりのお気に入りグッズを相撲の番付形式(一番好きなものが横綱。以下、大関、関脇、小結~と好きなものの名前が並ぶ)で紹介する「まりきょん場所☆私物番付」という企画もあるが、こちらでもきょんは魅せてくれる。その大関は「ヲタまんが」。『らき☆すた』と『xxxHOLiC』がお好みで、お気に入りのヲタまんがは「友達に借りたり、アニメイトに行って見つけたり」するそうだ。またまた繰り返すが、アリプロを高らかに歌い上げ、アニメイトで『らき☆すた』を買うのは、ジュニアモデル、女子中学生の憧れの的だ。

ファッションにバリバリ興味関心を抱きながら、なんなら自らがファッションリーダーでありながら、給食の時間に流れる『ハレ晴れ~』を楽しみにし、アリプロを熱唱する女子中学生は「呪いなきオタク」とでも言うべき存在だ。「オタク vs オサレ」「オタク=カッコ悪い」という従来のオタクにまつわる呪縛を易々と飛び越える。

『電車男』のヒット以降、いかにもなイケメンさんがテレビで「オレってオタクなんスよ」と知った風な口をきくことも珍しくなくなった。しかし、ヤツらの指すオタクコンテンツは『ガンダム』『エヴァンゲリオン』『スターウォーズ』がせいぜい。そんなもん、とうの昔に、ごくごくフツーのユースカルチャーに組み込まれてるっつうの。

その点『もってけ!~』やアリプロは、まだまだ一般性が高くない。しかし、彼女たちは、それが面白く、キャッチーだと感じられさえすれば、喜んで乗っかるし、そのことをあっけらかんと表明する。そこには、なんらの照れもなければ、マニアックを気取りたがるイケメンくんのようなスカしたカッコつけもない。若いっていいなぁ。

【追記】
ただ『Hana*chu→』の記事については、いい意味で、眉に唾つけて読んだ方がいいのかも。同じく10月号の別の特集のタイトルが「スクープ! 中2病 vs 中3病 これが実態だっ!!」。学校に慣れてきてハシャぐ中学2年生の取りがちな行動を評して「中2病」、受験を控え、学校にも飽きてきた感のある中学3年生のルーズで諦念している感じを「中3病」と呼んでいるだけで、ネットで語られる、いわゆる中2病とは意味は違うものの、このフレーズをファッション誌で使っちゃう感じってどうよ。『ハレ晴れ~』の振り付け特集を組んじゃうのと合わせて考えてみるに、たぶん編集部内にいるぞ。ファッション誌エディターのふりをしたオレらのご同輩が。

【追記2】
きょんたちには、多少、中川翔子あたりの影響は感じなくもないが、そのあり方は、決定的に違うように思う。中川の場合、アイドル=みんなの疑似彼女、という“開かれた”存在ながら、あえてオタクという“閉じた”カルチャーにコミットしているというギャップがある状態を自身がチョイスしている感がある。実際、以前取材したとき、マネジャー氏が「その手の話になると、ボク、さっぱりわからないし、話が長くなるんで、放っとくんですよ」と笑っていた。放っておかれてOKということは、さして自分の好みを理解してほしいとは思っていまい。むしろ、いわゆる「一般人」とのギャップを放置しておくことで、そのズレから生まれる不思議ちゃん的雰囲気を自らの魅力に転化しているんだろう。

それに比べると、きょんは、カラオケの十八番として、平気で大塚愛とアリプロを並べちゃう上に、それについて、中川風の、いかにもオタク的な理屈をこねくり回した解説を加えたりはしない。オタクに対するコンプレックスやディスコミュニケーション感が希薄だ。「ギャップで面白がらせよう」とか「理解してほしい/ほしくない」といった思惑はあまり感じられない。好きですが、なにか? ってなもんだ。やっぱ若者スゲー。

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2008/09/09

「“ネット”と上手く付き合うために Ver1.0」を読んで

インターネット先進ユーザーの会(MIAU)が、過日よりアナウンスしていた情報教育用教材「“ネット”と上手く付き合うために Ver1.0」(リンクはPDF)を公開。さっそく注目を集め、はてなブックマークなどを見るに、おおむね好意的に迎え入れられているようだ。

で、拝見させていただいたのだが、これ、どうやって学校で使うの? ちょっとユーザー像が見えにくい。ここでいう「ユーザー像」とは「先生」のこと。要は、このテキストを使った授業風景が思い浮かばないのだ。

MIAUの小寺信良氏のコラムや、今回の一件を報じるITMediaの記事によると、本テキストは学校で「教科書」的に使ってもらうことも想定しているという。そして、本テキストのおっしゃることは、いちいちごもっとも。情報リテラシー教育は今すぐにでも取り組むべき課題だろうし、インターネットの世界は匿名性が高いようで、その実、だれもが匿名ではなく、ケータイメールに依存すべきでないことは、確かに知っておきたいところだ。

とはいえ「インターネットは真の意味での匿名ではありません」「メール依存症にならないようにしましょう」という、厳然たる事実・注意事項を列記しただけのテキストを渡されたところで、先生には授業のしようがない気がする。

本来、教科書とは、先生が子どもに何かを一方的に教え込むための道具ではなく、「みんなで」勉強することで、個人の理解を深めるための学習材なのだそうだ。

たとえば、数学の授業。教科書のある単元の最後に載っていた文章題をみんなで解くことになったのだが、Aくんには、どうしても解けなかった。ところが、先生に当てられたBさんが、物の見事にその問題を解いてみせた。そのBさんの理路整然とした解説を聞くことで、Aくんは、解法を深く理解することができましたとさ。

クラス全体で同じ教材を使い、同じ文章題を解いているから、Aくんは、Bさんの話を聞いて問題を解けるようになったというわけだ。国語の授業なら、教科書に載っている物語を「みんなで」読んで、作者の考えていることはなにか、「みんなで」考える。道徳の授業も同じ(道徳は教科じゃないから、学校から配布されるのは「副読本」だけど)。とある失敗をしてしまった男の子が主人公の生活文を「みんなで」読んで、彼はどうするべきだったのか、私ならどうするか、「みんなで」話し合う。三人寄れば文殊の知恵。ひとりでアレコレするよりも考えが深まるし、正解にも近づきやすくなる。

社会や理科のような、いわゆる「暗記もの」の教科なら、どうか。学生時代を振り返ってみるに、先生が、補足事項を加えつつ、教科書を読み、子どもたるボクらは、それをバカ覚えしていただけのような気もするが、この手の授業には「体験」というオマケがついてくる。先生の指導のもと、白地図を塗る、年表を作る、社会科見学に行く、植物を観察をする、実験をする。英語にも、クラスメイトと英会話してみるとか、英語の歌を唄ってみるとか、ゲストで来た外国人と話をしてみる、といった体験がついてまわる。「みんな」で実験し、英会話するから、ほかのクラスメイトが上手に実験をこなす様子を見たり、達者な英語を話すのを聞いたりして、自分の学習の足しにすることができる。

ところが、本テキストには「みんなで」学習する余地がない。事実・注意事項しか書いてない以上、読んで聞かせる以外に、先生にできることがないんだもの。それでなくとも、学力低下が叫ばれ、いわゆる受験科目の授業時数を増やそう増やそうとしている昨今、受験や学力考査に関係ない読み聞かせに、あえて時間を割くなんてナンセンス。子どもに配るだけ配って、各自、自宅で読ませりゃいいじゃないか、となってしまう。

「じゃあ、学校や先生が『みんなで』考えるための発問や、『みんなで』なにかするための体験を用意すれば、この『教科書』を使った授業を展開できるじゃないか」といきたいところだが、たぶんムリ。

平成18・19年度文部科学省委託事業「情報モラル等サポート事業」など、教員・保護者向け情報教育系サイトの中でも特に充実しているのは「実践例」。「ウチの学校では、ウチのクラスでは、こんな情報教育系の授業をしましたよ」という報告集だ。この手の情報が充実するのには、実践例を報告できるような先進的な人を除いた多くの先生が、情報教育をどのように進めていいものなのか、そのノウハウを確立しあぐねているという背景がある。

この事実は、MIAU自身も知っているはずだ。本テキスト「はじめに」には、こんな一文がある。

技術的に詳しくない先生方にも、ロングホームルームなどで活用していただけるよう、なるべく技術用語を避けて平易な言葉で記述してあります。
情報リテラシー教育にあまり明るくない先生がいることは織り込み済みなわけだ(だから「教科書」を作ったんだろうけど)。当然のことながら、その手の先生には、ネットに関する発問や体験学習系のネタなど思いつくはずもない(そもそも、情報リテラシーの低いだろう先生に、いきなり「インターネットは匿名じゃありません」を解説させるのも難しい気もするが、それはさておく)。

では、MIAUの「教科書」はどうあるべきか、といえば、もっと一般的な教科書然とするべきなのだろう。国語の教科書の物語の末尾に「作者が訴えたかったことはなんでしょう」「傍線の『それ』が指すものはなんでしょう」なんて設問が載っているように、理科の教科書の酸化の仕組みの解説のあとに、酸化鉄の作り方の実験手順が書かれているように、ひととおり、解説すべきを解説したあとに、なんらかの設問や体験コーナーを用意してみてはどうだろう。

一応、2章末尾に「携帯メールやり過ぎ度チェック」というチェックシートがあるが、これでは不十分。教室でめいめいチェックしたところで、自分がどの程度マズってるかを把握する以外のことはできない。なら、自宅でひとりでチェックすればいい。とはいえ、クラスの「みんなで」チェック結果を共有してしまうと「ケータイ依存度重症」と診断された子が笑われる、といったイジメだって起きかねない。

ならば、たとえば、ログやヘッダの仕組みを解説する「ネットは匿名じゃありません」の章では、最後にメールソフトでのヘッダを確認するための操作手順を紹介してみてはどうだろう。また、同章の末尾には、ネットを匿名だと信じ込んで失敗してしまう少年が主人公の4コママンガ「悪口かくお君」が掲載されているが、これを3コマに減らしてみるのもアリ。ネットが匿名でないことを解説したあとなら、先生はオチを割らない3コママンガを使って「このあと、かくお君はどうなったでしょう?」と発問できるかもしれない。

2章についても、道徳の教材よろしく「ケータイメールで夜更かししちゃって失敗した」なんて生活文を載せて、果たしてどうすればよかったのか、話し合わせてみればいい。チェックシートでは、ケータイを持っていない子が参加できなくなってしまうが、想像を巡らせて話し合うことなら、ケータイがなくてもできる。そして、その話し合いは、いずれケータイを手にするときの心構えを知るきっかけにもなる。

おそらくMIAUは、9月の新学期スタートに合わせるべく、それはそれは急ピッチで本テキストを作成、リリースしたのだろう。情報リテラシー教育は喫緊の課題だけに気持ちはわかる。が、本当なら、発表前に、情報教育に明るい先生に本テキストを読んでもらい、どんな発問が可能か、ヒアリング。そして、それを付け加えた改訂版を使って、試験的に授業を行ってもらった上で、自サイトでその様子を実践例として公開するなど、具体的なテキストの活用法を紹介しつつ、リリースすべきだった。情報教育のプロ、学級運営のプロたる先生からなら、上記のようなボクの浅知恵よりも、より効果的な発問例を聞けただろうし、それを加えたテキストでの授業の様子をレポートできれば実践例も充実した。そうすれば、情報リテラシーに明るくない先生にとっても、使いやすい「教科書」になったはずだ。

MIAUによると、今回配布のテキストはまだ冒頭に過ぎず、今後、教育関係者の意見・要望をヒアリングした上で、引き続き「教科書」作りを進めていくという。やたらと長文になってしまったが、ボクの戯れ言にもちょいと耳を傾けていただけると幸いだ。とりあえず、アドバイザーとして先生を立てて、試し斬りをしてからリリースしてみると、いいかもよ。

【余談1】
上記引用のとおり、本テキストは、ロングホームルームでの使用も想定しているようだが、それはそれで結構実効性に欠く。ホームルームの時間に「ネットは匿名じゃないから、悪口を書いてはいけません」「メールの使いすぎに注意しましょう」といった「べからず集」をぶってしまうと、それは授業ではなく、生活指導に近くなる。で、ボクらもそうだったように、生活指導の先生のお説教なんて、ほとんど真剣に聞かないよね。ヤンキーの子なんて「タバコを吸うな」っつう、あからさまな違法行為を咎められているときですら、ロクに話を聞いてなかったし。特に後ろに手が回るわけではないメール依存について説教されても、まず聞かない。だからこそ、先生と子どもが一緒に考えるための発問や、パソコンやケータイを操作する体験といった「シカケ」が必要になる。

【余談2】
MIAUのテキストについて、もうひとつ。悪口かくお君のネームは、ちょっと考えた方がいいだろう。「バーカ、バーカ」だの「うんこぶりぶり」だの「頭悪いわねー」だのといった汚い言葉がバンバン登場し、子どもが逮捕されるような資料を、先生は授業で使いたがらない。というか、使わない。「なにを重箱の隅を突くようなことを」というかもしれないが、教科書においては子どもだけではなく、先生もユーザーのひとり。ユーザーが気持ちよく使える(使いたくなる)商品作りを目指すべきだろう。

【余談3】
以前紹介した、荻上チキ『12歳からのインターネット』を好ましく思う理由のひとつに、この発問例があり、体験的である点が挙げられる。ネットに関する素朴な疑問をQ&A形式で紹介する本なのだから、同書には、発問例がある、というより、発問例しかない。また、読み手である保護者や子どもは、まずQを読み、自分なりの回答を考えてみてから答え合わせをする、という体験もできる。「みんなで」だって考えられる分、MIAUのテキストよりも教科書っぽい。

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2008/08/27

JCのハルヒダンスが見られるのはHana*chu→だけっ!

Dscf著書『なぜケータイ小説は売れるのか』のあとがきで、本田透さんは、その大いなるイマジネーションの羽根を広げ、今の中学校、高校の教室の風景を、こう想像している。

隣の席では、恋愛信仰にどっぷり浸かったクラスメイトの少女がケータイを使って『恋空』や『赤い糸』を読んでいる。その横で、自意識に目覚めてしまった少年は『涼宮ハルヒの憂鬱』(角川スニーカー文庫)などのライトノベルを読みながら、現実には存在しない学園、セックスやレイプや妊娠やドラッグに侵されていない学園を脳内に幻視する。

同じ教室にいる生徒が『赤い糸』と『涼宮ハルヒの憂鬱』とに分離している。そして、お互いをおそらくは敵視し、あるいは無視し、関わり合いにならないように自らのパーソナル・エリアを守りながら生き続けている。

なるほど。旧態依然としたメディアのオッサン、オバサンがよく口にしがちな「若者の活字離れ」とやらが本当に進んでいるのなら、今、積極的に活字の本を手にする学生なんて、ラノベ読者かケータイ小説読者くらいしかいないのかもしれない。

そして、お互いの趣味の違いによって、友人・知人との間に断絶が起きることがあるのも、よくわかる。'08年にもなって、もはやホコリをかぶりまくった'90年代ニューヨークハウスやらマンチェスターギターロックやらばかり聴いているボクが、湘南乃風やコブクロのファンと趣味の話に花を咲かせられるかといわれると、ちょっと難しい気がする。

ただ、ボクは学校はおろか、会社にすら所属していないフリーランサーだ。趣味嗜好の合わない面々と四六時中ツラを突き合わせることも、おそらくこれっぽっちも理解されないだろう趣味の話をせざるを得ない場面に出くわすことも、逆にボクがこれっぽっちも興味の持てないコンテンツについて熱く語られることも、そうそうない。だから、誰がなにを好きだろうと、実は、あんまり困らない。

しかし、自分の趣味や世界に妙にコダワっちゃったりする多感な時期の学生さんにしてみれば、本田さんのイメージする学校の風景は、軽く絶望的だ。1日の大半を同じ空間で過ごす仲間であり、しかも同じ「読書好き」でありながら、まったく相容れない2人という構図は、ラノベ読者にとってもケータイ小説読者にとっても、存外不幸なことだろう。

ムダに自意識が高く、自己肯定感が強い年代だけに、ラノベ読者は、ケータイ小説読者を横目に「けっ、ビッチどもが」「DQNが頭のワリィ本なんか読んじゃって」なんて思っていても、おかしくないし、本田さんが指摘するとおり、ケータイ小説読者もラノベ読者を「『キモイ』とか『オタク』とか」呼んで白眼視しているかもしれない。せっかく、お互い知らない間柄ではない上に、活字を読むのが苦じゃない者同士なんだから、好きな本の話で盛り上がれれば、さぞ楽しい青春を送れそうなものなのにね。

と、オタク気質の強いボクなどは、特にラノベ少年のニヒリズムにシンパシーを覚えながら、同書を読んでいたのだが、雑誌『Hana*chu→』によると、実は、本田さんやボクの予想は若干外れているらしい。

同誌は、成海璃子などを輩出した女子中学生向けファッション誌。ケータイ小説とのコラボにも積極的で、自社(主婦の友社)の刊行するケータイ小説の帯ラーに成海を起用したり、動画配信サイト「魔法のiらんどTV」のケータイ小説Webドラマの主演に専属モデルを投入したりしている。

で、以下は、その9月号のセンター付近の企画のタイトル。

知らなきゃヤバッ! 体育祭で、休み時間で、カラオケで……全国女子中生の間で大ブームっ!
「ハレ晴れユカイ」振り付け完全ガイド
企画趣旨は読んで字のごとく。ハルヒのコスプレをした専属モデルのコがハルヒダンスの振り付けを指導するというものだ。ちょうど、演歌や盆踊り曲のレコードのインナースリーブに載っている振り付けの分解写真をイメージするといいだろう。

正直な話、同誌が

アキバ系のイキを超え、女子中生からも人気のカリスマアニメ『涼宮ハルヒの憂鬱』。そのエンディング曲『ハレ晴れユカイ』のダンスが、「ノリがよくて萌えカワ!」ってことで大流行。さっそく、振りをマスターしよう!
と煽るほど『ハレ晴れユカイ』が女子中学生に浸透しているのか否かは、知らない。

最近「オトナが、いたいけな少年少女をダマくらかしてケータイを買わせている実態」を調べるために、ティーン誌数誌を定期購読しているのだが『ハレ晴れ~』について言及があったのは同誌だけ。「ハレ晴れユカイ ハナチュー OR hanachu OR hana*chu」なんてキーワードでググってみてもヒットする小中学生ブログは、せいぜい両手にあまるくらい。YouTubeやニコ動をさらってみると、中学生が踊る『ハレ晴れ~』動画がいくつか引っかかるのみ。

それに、そもそもブログを開設したり、ニコ動をアクティブに使いまくったりする小中学生は、早くからITに興味関心のある、ある意味において「進んだ子」だ。そして、森川嘉一郎『趣都の誕生 萌える都市アキハバラ』を引くまでもなく、ITマニアと、いわゆる「ヲタ」の親和性は高い。だから、本当に『ハレ晴れ~』が「アキバ系のイキを超え」ているのかどうかは、まるで判らない。

とはいえ、同企画の担当編集やライターがまるでウソをついているとは、もちろん思っていない。普段の取材や仕事を通じて話を聞いた読者やモデルが「『ハレ晴れ~』がアツい」なんて言っているのかもしれないし、または、ブームを仕掛けようとしているのかもしれない。

女子中学生のマインドはイヤというほど知っているだろう彼らが、面白がって取り上げるのだから、まだブームこそ訪れていないにせよ、『ハレ晴れ~』には、女子中学生に刺さるなにかがあるのかもしれない。エド・はるみや世界のナベアツのネタ、DAIGOの決めポーズ(スタン・ハンセンみたいな指を作った両手を胸の前で交差させるアレ)みたいに「チョー面白いから」なんて理由で、女子中学生が今から『ハレ晴れ~』のダンスをマスター。今度の体育の日、近所の中学校から爆音で『♪なぞなぞ~』なんて流れてくる可能性だって、けっして否定できはしない。

さて、全国の女子中学生のみなさん。もし『ハレ晴れ~』の振り付けを覚えたなら、クラスの隅っこで、黄色いカチューシャの女のコが表紙の文庫本を読んでいるメガネ君に声をかけてみてほしい。「それ『ハレ晴れ~』のヤツだよね」。メガネ君は、度を超すにも程があるシャイガイだから、あなたがクラスに持ち込んだラジカセで『ハレ晴れ~』を流していても、たぶん声をかけられないだろうから。そして、声をかけたあなたには、今、読んでいるケータイ小説よりも、はるかにリッチでマシな読書体験が待っているはずだから。

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2008/06/14

『12歳からのインターネット』――全然「当たり前」じゃないITリテラシー

Amazonから、荻上チキさんの『12歳からのインターネット』が届く。どんなテイストの本になるのか、うかがっていたため、楽しみに待っていたが、期待に違わぬデキだ。

ご本人は自身のブログ

「当たり前」のことしか書かれていない本です。
と謙遜するが、これまた「荻上式BLOG」でもおっしゃるとおり、この「当たり前」とは、ネットユーザーにとっての「当たり前」。ネットの世界に明るくない人や、教育の世界に明るくない人にとっては実は「当たり前ではない」、でも、ネットを扱う上で大切な心構えをキチンと説いている。

学校とは、良くも悪くも「社会の建前」を教える場だ。中学校のころ、当時の担任教師に聞いてみたことがある。

「なんで校則は守らなきゃいけないんですか?」

いかにも反抗期バリバリの厨房丸出しでカッチョ悪いにもほどがある質問だが、小うるさいガキがうざったかったのだろう担任のあしらうような答えは奮っていた。

「守っときゃ、大人からうるさいことを言われずに済むだろ」

「余計なストレスを回避するために、とりあえずルールを守っておく」という選択は、確かに立派な処世術だ。だから、ボクは非常に感銘を受けた。

が、そんなことは、やっぱり学校で教えちゃあいけない。「集団生活を送る上で規律は~」と説教の1コもぶってくれてこその、ガッコのセンセイというものだろう。そして子どもは、その建前を踏まえた上で、その後の友人との交流やアルバイトなど、社会経験を積み重ねる中で、処世術や裏技を自ら体得するのが正道だ。

だから、先生の書くITリテラシー本、情報モラル本は、どうしても、その正道に則った「建前論」になりがちだ。「ネットに人の悪口を書いてはいけません」「プロフや学校裏サイトはトラブルの火種になるから、作らないようにしましょう」。

決して著者が無能なわけではない。子どものマインドを熟知しているから「子どもの執念はハンパじゃない。どうしてもヤバげなサイトが見たかったらフィルタリングなんて楽勝で突破する。技術に頼るな」など、見所のある提案をする先生は少なくない。教育者という職務、職責に忠実だからこそ「加害者になるな!」「悪いことには関わるな!」という人として当然の基本姿勢を教えようとしているだけだ。ただ、加害者になることや、被害を受けたときの恐怖に怯えるあまりコミュニケーションを控えてしまうと、ネットを有効活用することはできはしない。

他方、ITライターが書くITリテラシー本、情報モラル本は、やっぱり職業上の問題なのか、テクニカルな話題に終始しがちだ。「ウイルス対策ソフトとファイアウォールを導入しましょう」「フィルタリングソフトで有害サイトはある程度シャットアウトできます」。ユーザーマインドに訴えかけないぶん、先生の提案よりも実効性やリアリティに欠く。

『12歳からのインターネット』は「加害者になるな!」「技術によるフィルタリングやゾーニングも活用せよ!」という誰にとっても「当たり前」のことへの目配せを欠かさないのはもちろん、教育屋、IT屋よりも一歩先行く提案、つまりは裏技、処世術についても解説する。

特に注目したいのが「荒らし」と「粘着」の対処法について。同書は、とにかく全力でスルーしろ、もっと安全なコミュニティを探してみろ、と提案している。

「なにを当たり前のことを」と思えるなら、その人は、立派なネットユーザーだ。しかし、まずは子どもに「世の中には建前ってもんがあるんだよ」と教えなければならない先生は「顔も見えない相手から悪口なんて言われたってムシしときゃいいじゃん」「そいつとは関わり合いにならなきゃいいじゃん」とは言っちゃあいけない。だから、これまでのITリテラシー本、情報モラル本では、この見解は「当たり前ではなかった」。

そのほか、同書では「別人格を演じることは、悪いこと?」という質問に対して、他人の評判をおとしめたり、誰かをダマすためにネット人格を使うことは禁じる一方で、

楽しめる範囲なら全然OK
と、笑えるレベルのコミュニケーションは許容する。同じく「釣り」についても、デマはNGとしつつも、
参加者全員が楽しめるようなとんちのきいた「釣り」
はアリ。

2ちゃんのネタスレなんかでゲラゲラ笑ったことがあるなら、こちらも「当たり前」のことだろうが、建前論で考えると「当たり前ではなく」なる。やっぱり、ウソはいけない。

加害者と被害者。どちらが悪かと問われれば、多くの場合は、まあ、加害者だろう。だから、建前論では、加害者、つまりは「良くない情報発信者」になることを回避する方法を指導することになる。もちろん、悪になんてなるべきではないのだから、建前を知っておくことも重要なのだが、どこに「荒らし」や「粘着」「釣り糸」が潜んでいるとも知れないネットの世界では、被害者(情報の受け手)にも相応の心づもりが必要だ。

その性格上、先生には教えられない、この心づもりを指摘できるのは、教育の世界からもITの世界からもほどよく距離を置く荻上さんだから。決して「当たり前」のITリテラシー本じゃない。実は画期的な1冊だぞ、これ。

さて、これを読めば、ネットを使うときの基本的な心構えは醸成できるはず。次は、実践編だ。実際にパソコンを使ったケーススタディみたいな本が必要なんだろう。

はてさて誰が書くんだろう。とりあえず立候補してみるか。一応のノウハウとしかるべき肩書きを持った指導者、そして書き手(っつうかオレ)は用意できるはず。軽く企画書でも書いてみよう。

というわけで、労働意欲を盛り上げてくれる意味でもいい1冊だった。

【付記】
ついでに言っておくと、学校主導のITリテラシー教育、情報モラル教育がはかばかしくないのには、学校のパソコンの設置台数の問題もある。公立の小中学校の場合、児童・生徒の個人情報漏洩を防ぐ意味合い(と予算の関係)から、職員室に2台きりしかパソコンのないところも珍しくない。先生って、能力の問題ではなく、物理的にITリテラシーや情報モラルを高めにくい環境にあるんだよね。

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2008/05/27

川田亜子と同期だった

頭が悪いからなのか、人としてなにか大事なものが欠落しているからなのか、このエントリを記すのがいいことなのか、不謹慎なことなのか、ボクにはイマイチ判然としないが、今回の彼女にまつわる一報に触れて、1年前にこんなことを書いていたのを思い出した。以下は'07年4月10日のmixi日記。

インタビュー中、会社を追い出された(誇張表現)話をしたら「お互いフリー1年目なんですから頑張りましょうね。同期なんですから」だって。わざわざ顔を近付けて。

こういう切り返しができるあたり、やっぱ美人は処世術にも長けてるなぁ、と思いつつ、チョイ萌えた。そして思い切り照れた。

去年の4月初旬『日経エンタテインメント!』の仕事で、同年度に独立した3人の女子アナ、内田恭子、赤江珠緒、そして川田亜子を取材した。実は、ボクもそのころ、元いた編プロを辞め、フリーとして仕事を始めている。で「ボクも会社辞めちゃったんですよ。このインタビューがフリーになって一発目の仕事」なんて話をしたところ返ってきたのが、上記引用カギカッコ内の言葉。今の今まで忘れていたのだから、深く心に刻まれたわけではない。ただ、当時、なんかうれしかったのを思い出した。

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2008/05/24

『On the Road』あるいは『前略、道の上より』

■葉っぱの「歩行と記憶」「[考える]ニヒリズムを越えて」
http://d.hatena.ne.jp/kuriyamakouji/20080408

本田透の『なぜケータイ小説は売れるのか』(ソフトバンク新書)のbk1レビュー「喪男」【モダン】のケータイ小説論考をアップしました。フリーライターの成松哲氏によると、「ケータイ小説書籍のメイン読者は、地方都市……例えば北関東」なのだと、本書で紹介しているが、わかる気がします。
2月に敢行された本田透さんの新書『なぜケータイ小説は売れるのか』にコメントゲストとしてお呼ばれし、上記引用のとおり、なんかそれっぽいことを話してみた。

文中では「ケータイ小説書籍のメイン読者は、地方都市……例えば北関東」と語るのみになっているものの、これは「売れてねぇライターが言いたい放題言っちゃってるのをそのまま書き出すと、お前が干されたり、怒られたりで、余計に売れなくなって大変だろうから」という、本田さんと担当編集氏のお気遣いによるもの。実は、取材ではもうちょっとぶっちゃけている。文中の言葉だけでは、一見、抽象的な印象論というか、個人的な感触レベルの話っぽいんだけど、きちんと裏は取っている。

その裏というのが、あるケータイ小説配信事業者の担当氏のひと言。'06年末から'07年の初めごろ、いくつかの新聞と雑誌で、ケータイ小説のトレンドを追っかける記事を書かせてもらっていたことがあり、配信事業各社を取材していた。その取材先のひとつから以下のような言葉をもらったので、それを紹介した。

ウチのビジネスモデルは「北関東的」なんですよ。
いや、名言だ。たったのひと言ですべてを物語っている。

当ったり前だが、都市部、都会と呼ばれる地域よりも、地方と呼ばれる地域の方が人口は多い。暴論も暴論だが、東京都の人口が1300万人。日本の総人口のたったの1割ぽっちだ。ならば、9割を相手に商売した方がオイシイに決まっている。バリバリにトンがった都会的なコンテンツに地方のコすべてが共感しうるか、ピンとくるか、といわれれば、もちろん怪しい。都会のコと地方のコでは、触れられる人、モノ、情報の量が違うんだから、育まれるメンタリティだって違ってくる。だから「泥臭い」「土着」の、ちょいダサめのコンテンツ作りを目指す。

各社、女子中学生向けファッション誌なんかと組んで「女のコたちはみんな読んでる!」的な、ちょっとオシャレげなイメージを打ち出す一方で(この打ち出しもめいっぱいダサいが)、「都市型のビジネスじゃないんですよ」とぶっちゃけちゃうのは、ちょっとズルい気もするが、大きなパイを狙いに行くビジネス判断は、しごくまっとうだ。

で、この「北関東的」なる言葉を受けて、群馬と栃木、文字どおり、北関東に取材に行ってみたのだが、まあ、配信事業者の目論見はドンピシャリ。ターミナル駅の駅ビルにある書店のケータイ小説棚は、せいぜい1つ。ところが、県道沿いの郊外型超巨大スーパーの書籍コーナーや、大型チェーン系書店になると、ヘタすりゃ、単行本の棚には、ケータイ小説とタレント本と自己啓発書と宗教本(not 宗教学本)しか刺さってねぇんじゃねぇかって勢いになる。ありゃ、完全に地方型のビジネスだ。

なんて話をした記憶がある。

さて、じゃあ、ケータイ小説は、なにが北関東的なんだ?

19世紀のイギリスの作家、ジェーン・オースティンの長編『高邁と偏見』のなかにロンドンから田舎町にやってきた男と、田舎町のオバさんのやりとりがある。男が「田舎じゃ、交際範囲が非常に限られていて、しかも変化というものがまったくない」と皮肉ると、オバサンはキレ、こう反論する。

「そりゃお話とか、公共の場所というようなのは別でございましょうけど」(中略)「わたしはまた、この辺ほど交際範囲の広いところは、ちょっとどこにもないと思うのよ。だって、現にわたしたちの家など、二十四軒のお家と、食事のおつきあいしてるじゃありませんの」
オースティン曰く、モノや情報の量が少ない地方だからこそ、人は人との関係性のなかに物語を見出そうとする。しかも、人の数もあんまりいないから、その関係性と物語は濃密になる。だから、たとえ近所に24戸しかなくても、芳醇な世界に生きていると思える、というわけだ。

平凡な女子高生たるアタシが、「ジモト」で一番イケてる○○先輩や、「ウチ」のガッコの人気者の××君といったパーソナルエリアのヒーローに愛されてしまったがゆえに、輪姦、堕胎、ヒーロー君の死といった悲劇に巻き込まれるも、「家族」や「トモダチ」、新しいカレシの愛の力で克服。なんかよくわかんねぇけど、幸せ。

数少ない登場人物が、やたらと密着度の高い関係性を構築しており、やたらと濃い物語を展開するケータイ小説も、地方都市だからこそ生まれた物語なんだろう。

学校やバイト先のカラオケ店、コンビニ、居酒屋。そんな県道沿いの施設のなかで繰り広げられる物語が、同じく県道沿いのスーパーや書店で大量消費される。ケータイ小説こそ、新しい「路上の文学」なのかもしれない(なんだ、このオチ?)。

あと、『なぜケータイ小説は~』についても少し。Web屋やマーケッターが数字を根拠にケータイ小説ブームを解説する書籍は数あれど、作家自ら、その物語性を分析してみせる書籍は、本書くらいのもの。作家であり、オタクであり、オッサンである本田さんは、ド素人の書くケータイ小説なぞ文芸として認めたくもないが、感動するコたちの涙はウソじゃないことも知っている。だから、恩讐を乗り越え、そこにどんな物語が描かれているのか、ひとつ読み解いてみようじゃないか。そんなフェアなノリで書かれた一冊なので、ぜひご一読を。

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2008/05/21

みんな、ボクの本を買うといいと思うよ

■産婦人科で「モンスターハズバンド」急増 付き添いが暴力・暴言
http://mainichi.jp/select/wadai/everyone/news/20080520mog00m040015000c.html

産科や小児科など、母子医療に特化した愛育病院の院長が、セミナーの席上、患者たる嫁さんと付き添いの旦那が巻き起こすトラブル事例を紹介したというお話。

男性医師が妊婦の診療に立ち会うことについて「セクハラだ」と抗議する旦那やら、「カネはねぇけど嫁を診ろ。診られないなら別の病院まで送り届けやがれ」という旦那、「満室」と聞かされたのに「個室を用意しろ」とスゴむ旦那。なるほど、ヒドい話もあったもんだが、記事の見出しの言うとおり「急増」なんかしてんの?

上記記事中、院長は「増えている」とは、ひと言も言ってない。ひょっとすると、セミナー中、そういう発言があったのかもしれないが、ならばそれをつまびらかにした上で、見出しに「急増」と打たなければフェアではない。セミナーとやらが毎年開かれていて、例年は患者のトラブルなど話題にもならなかったのに、今年に限って話題にし始めたのなら、確かに「急増したのかも」と想像できなくはない。とはいえ、それなら、やはりその旨を記すべきだ。

だいたい、客商売をしていれば、昔っから、クレーマーというか、面倒くせえことを言い出す客には、少なからず出くわしてはずだ。特に産科の場合、お客は、人の生き死にに関わる事情を抱えている。暴力、恫喝を容認するわけではないが、テンパるヤツ、デリケートになりすぎるヤツがいたって、まるで不思議じゃない。

毎日新聞は「モンスター」って言いたいだけじゃなかろうか。もちろん、これだって憶測だが、公共のメディアで「急増」と謳うなら、ソースを出すべきだろう。

「モンスターペアレント」という言葉が登場して以来、調査・取材もそこそこに、とりあえず「モンスター○○」とぶち上げ、視聴者・読者の不安を煽りつつ、優越感をくすぐる(「オレはこんなにイタくない」とホッとさせる)「メディアイベント」ばかりが展開されている気がしてならない。

記事冒頭に

学校現場での「モンスターペアレント」が話題になって久しいが
とあるが、話題にしたがっているのは、正直、メディアだけ。以前のエントリにも書いたが、毎日言うところの「学校現場」(ついでに言っておくと、教育関係者はこんな言い回しはしない。今日びの教育関係者は、学校こそが現場などと教育機関を聖域化することを極端に嫌う)である各地の教委は「安易に保護者をモンスターペアレントと呼ぶな」と警告している。

また、先生を取材すると「何十年も前から、なにかと学校に苦情を入れに来る親御さんが数人はいましたよ」と口を揃える。「モンスターペアレント問題が話題」になった今になって、その数が何十にも増えたわけではない。やっぱり、1校に1~2人程度のものだという。

保護者のなかにイタいヤツがいることが、ショッキングな理由もわからない。ちょっと計算すればわかりそうなもんだ。30人学級が一学年2クラスある小学校の保護者数は、

30人×2クラス×6学年×2人(1人の子どもの保護者数)=720人

母子家庭、父子家庭や、きょうだいが同じ学校に通う家庭もあるだろうから、あくまで単純計算だが、700人からの人間が集まりゃ、イタいヤツ、もっと言ってしまえば警察のご厄介になっちゃいそうなヤツも、1人や2人くらい、そりゃいるだろう。児童・生徒数の多かったころなら、母数となる保護者数も多いのだから、もっといたかもしれない。

にも関わらず、当時は「モンスターペアレントが話題」になどなっていなかった。しかし、現在は、それを「モンスター」と呼ぶか否かは別として、学校で暴れて先生にケガをさせる保護者や、先生がうつになるまで追い詰める保護者が確かに存在する。

その理由はなんなのか。個人の権利意識、消費者意識が間違った方向に肥大化しているからなのか。学校や先生の保護者対応能力が低下しているから、保護者の苦情がエスカレートしているのか。そして、どうやったら解決できるのか。

これを探るのがメディアのお仕事であって、その実、大して珍しくもない事例に「モンスター」だの「急増」だの「話題」だのと面白おかしいレッテルを貼って読み手を挑発することじゃあない。冒頭リンクの記事に戻ってみるに

社会ルールや医療に関する理解をもう少し深めてほしい

小中学校での性教育の充実をはかり、出産に関することなど、性に関する基礎知識を子どものころから正しく教えることが必要なのでは

という院長の言葉が、とってつけたように書かれているが、こんな総論的な言葉だけを紹介したところで「モンスターハズバンド」(w)問題解決のなんの足しにもならない。社会的ルール、医療に関する理解、性知識を深めるにはどうすればいいのか。これを検証できなきゃ、なんの意味もない。

本エントリのタイトルはヒジョーにアレだが、拙著『凶暴両親』に限らず、「モンスターペアレントの問題を深刻化しているのは、実はメディアなんじゃねぇか?」と指摘する声は少なくない。拙著と同時期に同じく新書という体裁で刊行された上に、著者が圧倒的にメジャーなため、敵に塩なぞ送りたくもないが、藤原和博川端裕人バカ親、バカ教師にもほどがある』では

モンスター、モンスターとことさら大きく言い続けると、今度は保護者が、まっとうな要求や提言すら、いままで以上にしにくくなりそうだ
という前提のもと、両氏が対談を展開する。尾木直樹バカ親って言うな!』は、一時は学校・教育行政を叩いていたのに、最近になって一転、保護者を叩くメディアの変わり身の早さを
問題の本質を深く考える必要はないと割り切っているふうにも見え
ると評す。

それでなくとも、メディアのみなさんは、藤原センセイや尾木センセイが大好きじゃないか。その彼ら(と、ついでにボク)の声に耳を傾けてみちゃあもらえないだろうか。

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2008/05/14

藤崎詩織にフラれると悲しいけどさぁ

彼女って実は実在しないんだよね、というお話(なのか?)

■ITMedia「小寺信良の現象試考:インターネットの教科書を作ろう」
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0805/12/news010.html

小寺信良氏らが発起人となっている「インターネット先進ユーザーの会」(MIAU)が、子どもと保護者に向けた情報リテラシー教育のサブテキストを作るという。先日、拙ブログにおいて「情報モラル教育を学校やネット事業各社にやらせても、現状においては大した効果は望めない。それどころか、業者は『混ぜるな、危険』。アイツら、ゼニを儲けたい一心でロクなことをしやがらない」てなエントリを書いた。それだけに、まったくの第三者機関だろうMIAUがこのような取り組みを始めるのは、非常によろしい。発起人のひとりに小学校来の友人・津田大介がいるからといって、お上手を言っているわけではない。本当にいいことだと思う。

だけど、残念ながら、現状では「大筋で」しか賛成したくない。「まだ構想段階なんだから、あんまクサすなよ」と思う自分もいるが、上記記事中の提言は、ぶっちゃけ粗い。

小寺氏は単に教科書的なテキストを作るだけでは不十分。転ばないことには自転車の乗り方を覚えられないのと同じく、ネットの世界をスマートに歩くには、失敗を通じて、リカバリングの技術を知ることが必要だと言う。

例えばネットイジメの問題にしても、これらの教科書で語るだけでは、十分ではないかもしれない。では人工知能プログラムを使って、架空の人格をいじめる経験をしてみるのはどうか。そしてそれとセットで、よってたかって人工知能プログラムにいじめられる経験をしてみる。

これまで我々は、特定の存在へ無理に理由付けして攻撃・排斥したときに得られる原始的な感情とはなにか、それを得ることの代償に失うものは何かといったことを、人生そのものを賭けて学習するしかなかった。しかしそれがプログラムによって仮想的に学習できるのであれば、それは人類がかつて経験したことのない体験となるだろう。

「特定の存在へ無理に理由付けして攻撃・排斥したときに得られる原始的な感情」なんて、なんだか難しそうなものの正体は、三流大卒だからだろうか、イマイチわからないが、代わりにギャルゲーについてはちぃたぁ詳しいつもりだ。ここは『ときメモ』を例に考えてみよう。

ゲーム途中、ヒロインである藤崎詩織ちゃんの愛情パラメータに爆弾マークが付こうものなら(要は嫌われれば)、ちょっと(相当?)ヘコむし、逆に卒業式当日、伝説の樹の下に呼び出されようものなら(要は詩織ちゃんをモノにできれば)、相当萌え(惚れ)る。確かに人工知能相手とはいえ、罵詈雑言を浴びせることを体験すれば溜飲が下がる自分がいることに気づけるかもしれないし、反対に罵られて傷つくことも経験できるかもしれない。

だけど、この訓練によって、子どもが「ネットで悪口を書くと確かに気が晴れるけど、逆にやられると傷つくから、書いちゃいけないと思う」という結論に至るかといえば、正直怪しい。

道徳教育の世界には「役割演技」というものがあるそうだ。「高圧的なAくん」と「気の弱いBくん」というように、複数の子どもにそれぞれキャラクターを与えて、ちょっとしたエチュードをやらせることで、互いの気持ちを理解してもらおう、という指導法だ。一見、ネットイジメ用人工知能を使った訓練もこれに似ているが、実は決定的に違う。

役割演技指導の第一人者である江橋照雄氏によると、役割演技には、役割の交代が必要なのだそうだ。立場を入れ替えることで、相手の気持ちを真に知ることができ、効果も上がるという。

■光村図書「役割演技と子どもの目線」
http://www.mitsumura-tosho.co.jp/Kyoka/doutoku/kyo_doutoku_sakusha/sakusha02/tejinasi_02.asp

江橋:(前略)役割を交代することで一層相手の立場に立ったり、立場を理解することができる。それを抜かしてしまうと、一方の体験だけで終わってしまうんで、効果が半減どころか3分の1くらいになってしまうんです。
人工知能相手じゃ、役割を「交代」できない。だから、江橋氏言うところの「一方の体験」が2つ用意されるだけだ。

すごく当たり前のことだが、子どもがなんぼ疑似ネットイジメをしようとも、人工知能はこれっぽっちも傷つきはしない。イジメられているときも、イジめる人工知能はなんの喜びも覚えちゃあいない。詩織ちゃんをなんぼ攻略しようとも、多くの人が彼女を「オレのカノジョ」とは呼ばない(実在しない以上、詩織ちゃんがボクに惚れてくれている保証がないから)ように、そこに傷つけた(傷つけられた)相手がおらず、体験を共有できない以上「ああ、ボクの書き込みのせいで、彼はこんなに傷ついていたのか」とは気づきにくいのではないだろうか。単にイジメることの面白さ(不謹慎な言い方ではあるが)と、イジメられることの絶望だけが浮き彫りになりかねない。

イジメられっコが自分に対するイジメが止んだ瞬間、イジメっコにジョブチェンジするのは、よくあるお話だ。たとえ、そこに相手が実在していたとしても、子どもはイジメられることからなど、なにも学びはしないおそれもある。単にイジメることと、イジメられることのメンタリティを教えるだけでは、江橋氏言うところの3分の1程度の効果すら得られないかもしれない。

正直、ことネットイジメ云々の提言はイマイチ実効性に欠くように思える。「ITを使った情報リテラシー教育」という、いわゆる教育プロパーからは出てこないだろうアイデアを提出することで、MIAUの優位性をアピールしたいためだけのものに見えてしまう。

さぁ、暴論を吐こう。

ネットでの口論・攻撃の対処法を学ばせたいなら、仮想の掲示板かなんかを用意して、子ども同士に罵り合いをさせりゃあいいのだ。言うなれば、道徳の時間の役割演技のネット版だ。

役割演技は、単にエチュードをさせればいいというものではない。しかるべき指導者が「見取り」というか、子どもが理想的な結論を導き出せるようにディレクションする必要がある。当たり前っちゃあ当たり前だ。子どもに擬似的とはいえ罵り合いなんぞさせるだけでは、いずれガチにも発展しかねん。調整役・監視役が必要だ。

それはさておき、ねらいどおりの心性に目覚めてもらうために指導的立場が必要ならば、その役割を、それこそ「インターネット先進ユーザー」たるMIAUの面々が担えばいい。

ニュースサイトの寄稿記事や個人ブログのエントリはおろか、Twitterの発言すらも多くの人々にチェックされ、正当な反論から流言飛語まで、ありとあらゆるツッコミに晒されている彼らなら、まさしく教育プロパーからは出てこないだろう提言をできるはずだ。単に「ネットイジメはいけないよね」と教えるだけでなら教育屋にだってできる。しかし、彼らなら「ツッコまれる側もスルー力を上げろ」とリアリティを持って指導できるかもしれない。「イタいネットユーザーを見かけても、そこは儀礼的無関心でヨロシク」とかね。

教育の世界がこれまでに培ってきた技術を援用しつつ、先生が知らないだろうイマドキのネットユーザーのあり方を指導する。これこそが、MIAUがすべき提言なんじゃないだろうか。










で、締めくくれればカッコいいんだろうけど、この論も結構粗いんだよなぁ。だから、暴論なんだけど。

まず、役割演技の指導って、スゲー難しいんだって。いきなり「はい、君は○○役で、あなたは××役。さあ、お芝居してください」って言われたって、大人ですら、満足にその役割をまっとうできないよね。相手が子どもなら、言わずもがな。それに、教育のプロである先生ですら、子どもたちからエチュードをすることに対する照れやおじけを取っ払うことは結構難しいらしい(そんななか、上手にクラス全体のムードを作れるからこそ、江橋先生は第一人者なんだそうな)。まあ、だからこそ、人工知能相手のひとり芝居もちょっとムチャな気がする。

あと、もしかしたら、役割演技を通じて、イジメられることに快感を覚えるコだっているかもしれない。他人がどんな性癖に目覚めようと、そんなこたぁ、どーでもいいのだが、魚心あれば水心。イジメられたがるヤツがいれば、イジメっコをムダに増長させることにもなる。それに、子どもは千差万別だけに、こういう行き過ぎた妄想レベルの懸念ですら想定、フォローしてこその教育なんだけど、半面、レイプ願望でもない限り、性癖って教育や倫理、法なんかでどうこうしていいお話じゃないよね。疑似イジメなんて手法そのものを疑わなきゃいけないのかもしれない。

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2008/05/09

事件は会議室でも起きている

■はてなブックマーク「[N] 『モンスターペアレント』事例と対策」
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://netafull.net/child/025721.html

↑は

■ZAKZAK「驚がくのクレーム! 『モンスターペアレント』事例集 」
http://zakzak.co.jp/top/2008_05/t2008050736_all.html

をクリッピングしたネタフルのエントリに集まったはてブコメントの一覧。「富山市と大阪市が事例集付き保護者の苦情対策マニュアルを学校に配りました。さて、学校は保護者とどう向き合えばいいのでしょう」というニュースについて、ネタフルは

親の方からすると、無理を言っているとは思ってないのでしょうから、交渉するにも難しいところがありますよね。
と、マニュアルを作成した両市の意図を把握した上で、冷静なコメントをしているが、そのネタフルのエントリに寄せられたコメントには考えさせられるものがあった。
『話を聞く』という言葉でまとめてしまうのは危険だよなぁ、と。相槌が『同意のサイン』と受け取られ、保護者がさらに増長する、なんてことになりそう。保護者の話を実際に聞いたことない人が対策書いてるんだろうな
コメント主に対する失礼を承知ながら言わせていただけるなら「ヒドいコメントもあったもんだ」。しかし、その半面「こういう風に考えている人って多いんだろうなぁ」という気がしないでもない。

「教育委員会や市役所=おエライさん=学校で子どもや保護者と触れあったことのない人」てな図式。「事件は会議室で起きてるんじゃない。現場で起きているんだ!」てな感覚、とでもいうのだろうか。

だけど、こと保護者対応においては、教育委員会や市役所は立派な現場なんだよな、これが。

■MSN産経ニュース「保護者の苦情対応で焼身自殺は公務災害 埼玉・狭山」
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080109/crm0801091828025-n1.htm

'02年、狭山の保育所長が、保護者の苦情により、うつをこじらせ、焼身自殺した事件が起きたのだが、苦情を寄せていた保護者は、保育所はもちろん、市役所にも保育所の対応に抗議する文書を送っている。そして、それが自殺への引き金になった。

こんな例を引き合いに出すまでもない。「教育委員会に言ってやる」は、ベタな学園ドラマにおける小うるさい保護者の常套句だ。実際、先生を取材をしてみると「『教育委員会に言ってやる』と宣言してくれるなら、まだありがたい。ここ数年は、学校に苦情を寄せるのではなく、一足飛びに市役所や教委に行っちゃう保護者が増えている」なんつう言葉をよく耳にする。「先生がひとりで問題を抱え込むと自爆するおそれがあるから、適宜、教委と連携して苦情の解決に当たるべし。実際そうしてきた」という校長もいる。

「モンスターペアレント」という単語が出回りだしてからというもの、各地の教委も学校から保護者の実態について積極的にヒアリングしている。特に大阪を含む関西圏の教委は、保護者対応について熱心だ。パブリックイメージとしての“関西人”が、そのイメージどおり、学校に対してもアサーティブにモノを言うせいなのか、関西圏の経済が逼迫しているせいもあり、学校を含む公共機関に対する住民の期待度が高まっているせいなのか、そらまあ熱心に保護者対応に取り組んでいる。

かように保護者からの非常識・理不尽な苦情に晒されながらも、ともすれば、人死にすら出ている現状を知りながらも、富山、大阪両市は、保護者を「モンスターペアレント」と切って捨てるな。ネタフルの指摘するとおり「親の方からすると、無理を言っているとは思ってない」のだから、話し合って双方の誤解を解きほぐせ、と言っているわけだ。

ZAKZAKの記事やネタフルのエントリを見て考えるべきは「そんなマニュアル、意味ないよ」なんてことではない。もちろん「モンスターペアレント、おっかねぇ」なんて話でもない。保護者に対して、絶対になんらか含むところがあるはずの自治体が、それでも話し合いたがっている。なら、オレらもZAKZAKの記事にあるような物言いはせずに、もうちょっと穏便に学校や教委と話をしてみねぇか。口の利き方にちょっと気をつけてやろうぜ、っつうことなんだろう。

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2008/04/28

で、誰がやんの?<その3>

前エントリ<その2>はこちら

書き殴っておいてなんだが、かわいいワンちゃんの話など、どうでもよろしい。話を戻そう。

拙著『凶暴両親』でも指摘したが、多くの人が「学校」について云々したがるのは、国民のほぼ全員が学校のエンドユーザーだったことがあるから。自分も通っていただけに、教育問題が起きたとき「学校とはこうあるべき」「こうあってほしい」とイメージしやすい。

だから、学校にITリテラシー教育や情報モラル教育を求めてしまいがちだが、残念ながら、現在の学校には、それを行う余力とスキルはなさそうだ。保護者にITリテラシーや情報モラルを求めるのもムリだろう。業者に教育させるのも、フィルタリングを強制するのも、なんか違う。

ならば、どうすればいい。

■ITMedia「小寺信良:臭いものにフタをしても、何一つ解決しない」
http://plusd.itmedia.co.jp/lifestyle/articles/0804/14/news007.html

ネットの抜本的な浄化策にしても、教育という手法は効果が高いのだ。子供から親まで、それぞれの年齢に合わせた情報リテラシー教育を、正面から政策として取り組む事こそ、青少年の健全な成長に一番遠いように見えて、本当は一番近い道なのではないのか。
「NTT東西や地元プロバイダに協力義務を課して、年に1回2時限ぐらい使って『ネットに詳しいおじさんの、こんなに危ないパソコン・ケータイ教室』ぐらいをやるべきである」など、各論レベルでは、小寺氏の主張には賛成できない部分もあるが、上記の結論は断然支持したい。

事態を深刻化してしまえばいいのだ。現在の学校に期待できない上に、保護者のITリテラシーもイマイチ怪しいなら、情報モラル教育を国策レベルの問題に格上げしてみてはどうだろう。

予算を割いて、社会的コンセンサスを確保した上で、小中学校にも「情報」の時間を設けてみるもよし。別の講習を義務づけるもよし。フィルタリングを強制するのではなく、ITリテラシー教育を強制する方が、はるかに意味がある。

大人はおかげさまで子どもほどバカではない。教育をきちんと施されれば、情報モラルをいち早く身に付けられるはずだ。それを学んだならば、子どもとパソコンやケータイの使い方について話し合うべきだろう。

安くなったとはいえ、パソコンはいまだ10万円はくだらない高価な商品だ。新規契約無料の端末が多いとはいえ、ケータイにも通信料というランニングコストがかかる。

バンバン使わせられる裕福な家庭もあれば、あまり使ってほしくない家庭もある。ITを取り巻く環境は家庭によってまちまちなのだから、お上から与えられた情報モラルについてのルールを鵜呑みにするのではなく、それを基に各家庭ごとにカスタムするべきだろう。

大人も情報モラルを身に付け、ネットやケータイ、パソコンについて、子どもとよく語り合う。小寺氏の言葉ではないが、これこそが「一番遠いように見えて、本当は一番近い道なのではないのか」。

まあ、良書と呼ばれる情報モラル系の書籍が売れない理由のひとつには、この、一見遠回りに思える結論を導き出しちゃってることもあるんだけどね。それこそ「フィルタリングすればOK」なんて暴論を吐かないインテリジェンスが盛り込まれちゃってるから。読者は、ネットでのトラブルをたちどころに解決してくれるものと思って本を手にしたのに「話し合ってみてね」じゃ、肩すかしだもんね。

反対にクソみたいな情報モラル系書籍が売れないのは「フィルタリングすればOK」なんて噴飯ものの暴論を吐いているから。「どっちだよ!」ってお話なんだけど、気持ちはわかる(笑)。

次は、手続き的に正しく、しかも、それが一番の近道であることを多くの人に納得させられる情報モラル教育とはなにか、を考えなきゃいけないんだろう。

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で、誰がやんの?<その2>

■ヤフーなど5社、青少年ネット規制法案に反対を表明
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20080423/299919/

上記リンクに端を発した前エントリからの続き。

小学校で情報モラル教育を行うには、もうひとつ「先生役を誰にするか」という問題もある。

本来ならば、学校の先生がやるべきだろうが、正直な話、先生のITリテラシーに期待はできない。そんなものを兼ね備えていれば、今さら「子どもの情報モラルが!」などと騒がれてはいないだろう。そもそも、日中、ITとはあまり関係のない仕事をしているビジネスパーソンに高いITリテラシーなど望むべきもないのは、なにも先生に限った話ではない。先生だけを「ITリテラシーを身に付けろ」「子どもをネットの恐怖に晒すとはなにごとだ」と責めるのは酷だろう。この理屈で考えるまでもなく、保護者に先生役を任せるのもムリがある。

そのためか、冒頭リンクの記事には

各社それぞれが、保護者や学校関係者と共同で取り組む内容について説明した。まず、保護者が子供に対してネット利用に関する教育ができるよう、保護者の視点に立って教材を制作し、提供する。また、企業から講師を派遣して、子供を取り巻くネット事情や利用法を啓蒙する保護者向けの勉強会も実施する
とあるが、ぶっちゃけ、業者が出席する情報モラルに関する集まりは、しょーもないほどヌルくなる。

3月14日、教育関係者や学者、セキュリティ対策事業者、ボランティアの面々などに加え、ケータイキャリア各社のセキュリティ担当者も参加する「ネット安全安心全国推進フォーラム」なるイベントが開かれた。出席した某教育系版元の編集者によると、キャリアが参加しているせいか、学校裏サイトや闇の職安サイト、SNS、出会い系など、コンテンツについての問題点は洗われたものの「子どもにケータイを所有させることの是非」という、そもそも論については、ほとんど議論がなされなかったという。

唯一、社団法人全国少年警察ボランティア協会の松浦眞紀子氏だけが「あとからログを追えるパソコンはまだマシ。個人の所有物であり、手の中に隠れてしまうケータイを使って子どもが送受信する情報は、大人にゃ把握できねぇ。“子どもにケータイ”ってどうよ?」(超意訳)と、いい意味で空気を読まずに気を吐いていたらしい。

当然っちゃあ、当然だ。誰も本人を目の前にして悪口なんて言えまいて。もし青少年ネット規制法案が廃案になり、法案に反対を表明していたDeNAから講師がやって来るようになったとき、学校や保護者が「お前んトコのサービスで人死にが出たよな?」とツッコめるかといえば、正直、厳しいだろう。しかし、人死にを出さない穏便なコミュニケーション術を教えてくれない講師に意味などない。

また、どんな良書であれ「情報モラル教育」関連書籍の売れ行きは、あまり芳しくないという。ITリテラシーの高い保護者にしてみれば、読むまでもない「当たり前のこと」が書かれているだけ。反対にパソコンやケータイにあまり関心のない保護者にしてみれば、そもそも「情報モラルを高めなければならない」という言説にピンと来ないためだ。業者が講習会を開いたところで、そのメッセージを最も届けたいITリテラシーの低い面々こそ参加しないのではないだろうか。

ついでに指摘するなら、業者も商売である以上、都合のいいことを言うのは、想像に難くない。

ソフトバンクモバイルが配布している「ケータイマナー&トラブル対策BOOK」という小冊子をめくってみると「お子さまのネット環境を守るためにできること。」というページで「ヤフー!きっず」の利用をオススメしている。曰く

あらかじめソフトバンクが登録したサイトのみアクセスできる、子ども向けコンテンツを中心としたサービスです。小学生のお子さまにオススメします。
あれ????

ヤフー!きっずがフィルタリングした情報にのみアクセスさせれば「お子さまのネット環境を守る」ことができるのなら、なぜ、ヤフー!は、お上がフィルタリングした情報にのみアクセスさせる青少年ネット規制法案に反対する?(SBMほか、各キャリアはフィルタリングについて反対してはいないようだが、それにしてもヤフー!きっずを勧めるのは、ねぇ?)

だいたいケータイを持ってくることを禁止している学校は多い。持ってきたからといって、さすがに取り上げられるわけではないが、学校にいるうちは、基本的に使ってはいけないルールになっている。ケータイ向けコンテンツプロバイダがノコノコでかけていって、なにを言おう。「みなさん、お手元のケータイを使って、安全なネットの泳ぎ方をお勉強しましょう」とでも始めるおつもりか。

完璧に余談だが、授業中ケータイを使った子どもを叱るSBMのテレビCM「白戸家『校長』篇」においては、上記理由から、子どもを受容する樋口可南子(元祖ヘアヌード)の態度は大間違い。説教をたれる犬コロを全力で支持すべきだ。

さて、結論を見出すには、もうちょい紙幅が必要なようだ。というわけで、次のエントリに続く。

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で、誰がやんの?<その1>

■ヤフーなど5社、青少年ネット規制法案に反対を表明
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20080423/299919/

マイクロソフト、ヤフー!、DeNAらが、青少年ネット規制法案(ケータイフィルタリング法案)に「NO!」とブチ上げて以来、ネット界隈では「フィルタリングありやなしや」という議論が元気よく展開されている。

それらの声の中でも特に大きいのが「フィルタリングを強制するなどナンセンス。ITリテラシー教育、情報モラル教育を徹底すべき」というもの。確かに現在のフィルタリング法案はザルだろうし、容認すべきではないのかもしれない。「臭い物にフタ」的な規制を進めるのではなく、子どもに正しいネットの使い方を教えるべき、という意見には賛成したい。どうせいずれはイヤでもパソコンやケータイを使うことになるのだから、社会に放り出される前にその使い道を知っておくことには大きな意味がある。

とはいえ、疑問がひとつ。

ここで表題に戻るわけだが、で、ITリテラシー教育、情報モラル教育は誰がやればいい?

まあ、多くの人が想定しているのは学校だろう。中学校の学習指導要領には、技術・家庭科の授業で「情報とコンピュータ」に関する内容を履修させるべし、とある。高校なら、コミュニケーションリテラシーについても触れる、その名もズバリ「情報C」という科目がある。すでに教えるべきことでパッツンパッツンだろう技術・家庭や情報の時間に、どうやって「情報モラル教育」という新しい内容をねじ込めるのかは知らないが、まあ、それを行うのにおあつらえ向きの時間があるのは事実だ。

さて、小学校はどうしよう。現在、文科省などは、道徳の時間に情報モラル教育を盛り込もう、と考えている節があり、こう書くと「それはいい」と思う向きも多いだろう。が、情報モラル教育と道徳の時間が相容れないのは、すでに指摘されている。

■ジャストスクール「『情報モラル』についての特別座談会」
http://www.justsystems.com/jp/school/academy/media/talk/talk01_1.html

(前略)まず小学校教育は道徳がベースにあるとは思います。ただし、ネットについての教育は道徳と分けて考えています。道徳の授業では、例えば「登校中に困っている人がいた。その人を助けると遅刻してしまう」というような複雑な状況を提示した上で、子供たちに考えさせるのが基本です。ネット関連の授業でも、子どもたちに考えさせはするのですが、「違法コピーをしてはいけない」というように、ある意味で答は出ている。
以上は、東京都北区立西ヶ原小学校副校長にして、文科省からの委託事業「情報モラル指導等のサポート事業」委員なども務める野間俊彦氏の言葉。最近残念ながら力尽きた『ヤフー!インターネットガイド』誌の仕事で取材をさせていただいたことがあるが、きちんとネットのリアルを知った上でお話のできる人物だ。なんなら2ちゃんに定住しているスレがあり、そのヤバさと同時に、面白さやダイナミズム、安全な距離のとり方、コミュニケーションスタイルも知っている。だから、頭ごなしに「掲示板やブログ、プロフはいけません!」などとナンセンスなことは言わない。そんなタイプとでも言おうか。

野間氏の言っているのは、要はこういうことだろう。

多くの人が誤解をしているが、学校における道徳とは「人の物を盗ってはいけません!」と、いわゆる「道徳」「倫理」を叩き込むためのものではない。副読本などを使って善悪の彼岸みたいなシチュエーション(野間氏の挙げた例は「モラルジレンマ」というらしい。あちらを立てれば、こちらが立たず)を提示して、そのお題について子どもがアレコレ考えるための時間だ。ぶっちゃければ、正解なんぞなくてもいい。困った人を助けることも、遅刻しないことも正しいのだから。そのため「違法コピーをしてはいけない」と教えたい情報モラル教育とは食い合わせが悪いというわけだ。

極論するなら、たとえば道徳に情報モラル教育をねじ込み「ブログを荒らしてはいけません」ということに気づかせようとしたところで、子どもがアレコレ考えた結果「ま、トンマなブログは炎上してもしかたないんじゃね。自業自得。なんなら、ブロガーも炎上でネットのヤバさを学習するはず」などという結論に至ったなら「それはいけません」とは強制できない(もちろん、子どもが「道徳的」「倫理的」な結論に至るように上手に誘導するのが、先生の腕の見せ所だし、そうしなければいけないのだが)。

それに、情報モラル云々と騒がれる以前から、子どもの規範意識が低下していることを引き合いに「道徳を教科化すべき」という議論が積極的になされている。技術・家庭や情報の時間以上に、道徳には多くの使命が課せられている。はてさて、どうやって、情報モラル教育を盛り込もう。

ほかの教科や時間についても然り。それでなくとも、現在「ゆとり教育のおかげで子どもの学力が低下した」(誠かウソかは別だが)などと叫ばれ、各教科について、授業内容の高度化、授業時間数の増加が望まれている。情報モラル教育などしているヒマはあるのか。小学校では、ローマ字を教えることもあり、国語の中にパソコンの活用という内容を盛り込んでいるが、「ゆとりはイカン」と言っている方々が、漢字の読み書きや読解力向上のための指導を差し置いて、情報モラル教育を進めることを許してくれるだろうか。

さて、売れないライターが長いゴールデンウィークを持て余したか、テキストがクソ長くなってきた。続きは次のエントリで。

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2008/04/20

『R25.jp』と『ニコ☆プチ』と『ユリア100式』の話

■R25.jp「[社会]ネットやケータイは子どもの日常をどう変えた?」
http://r25.jp/web/link_review/20001000/1122008022208.html

非常に今さらだが、2月中旬『R25.jp』の取材を受けた。総務省がケータイキャリア各社にフィルタリングの義務化を要請したのを受けて、子どものケータイとの付き合い方を探ろうという記事向けに、エラそうな口を利いてきた。

サイト中には「ケータイの存在が子どものコミュニケーションスタイルを変える」一例として「ケータイに振り回されている」と実感しながら「メールは5分以内返信」というルールを自らに課している、という話が載っているが、取材時には、あとふたつ、たとえ話をさせてもらっている。

ひとつは、メル友の通話バージョンであるところの「ウィル友」(コム友)、「ソフトバンク友」の話。前略プロフや専用掲示板に、同キャリア間の通話が無料のWILLCOM端末、ソフトバンク端末の番号を晒して「ユーザー同士、おしゃべりをしたり、ショートメールをやり取りしたりしましょう」と誘う、あれだ。

リアルでの友だちとのコミュニケーション用とは別に、見知らぬ相手との会話専用に端末を買っちゃうあたり「ケータイに振り回されている」。WILLCOMやSBが同キャリア間通話無料サービスを提供しなければ、子どもは、そんな友だちをほしがりはしなかったはず。明らかに供給が需要を喚起している。

それと「リアル友だち用のケータイ」と「通話だけの友だち用のケータイ」というように、友情のレベルやレイヤーによって端末を使い分けるのは面白い。「営業用ケータイのメアドまで」「営業用ケータイの番号まで」「本チャンのメアドまで」「本チャンのケータイ番号まで」と、客によって、教えてもいい連絡先に差を付けるキャバ嬢みたい。

なんつう話をさせてもらった。

そして、もうひとつは「キッズケータイ」のお話。

2000年ごろから、小学校高学年~中学生女子の、いわゆるジュニアファッションブームを下支えしている雑誌『nicola』(新潮社)には『ニコ☆プチ』という妹誌がある。小学校中学年から6年生までの女のコをターゲットにしたファッション誌だ。

そのスタイリングは、良く言えばデコラティブ、悪く言えば過剰装飾の極み。昨秋発売の冬号では、トップはキャラクターが大きくプリントされたTシャツに、同じくキャラクターが大量にプリントされたパーカーのコンビネーション。ボトムはチェックのミニスカートに、☆マークがドットプリントされたレギンスの組み合わせ、という非常にマッシブなコーディネートを「おしゃれ上級者」の着こなしとして提案している。オシャレは引き算!

話がそれた。

同誌では、毎号、必ずといっていいほど、ケータイ特集を組んでいる。件の冬号では、各キャリアの当時の最新カタログ、読者モデルと読者のケータイ利用実態アンケート結果を掲載。今冬発売の春号には、各キャリアの春モデルのカタログと、auのショールームを紹介する広告企画が載っている。

これらのカタログに載っているのは、ボクらが使っているようなオトナケータイだ。キッズケータイではない。なぜなら、冬号のアンケートで菊池玲奈C(C=ちゃん。小4)が「(今の端末の)キライなところは?」という質問に対して、私物のケータイ片手に「キッズケータイなところがイヤ!」、同じく中村澄麗C(小6)も「キッズケータイだから、子供っぽいところ」がイヤと回答しているから。オシャレ上級者たるもの、オトナケータイを持つべきなのだろう。

ものすごくベタなことを言わせていただくが(正直、タイプするのもこっ恥ずかしいが)「キッズってどういう意味だっけ?」

イケてるファッション誌が、キャリアからの広告出稿も受け、オトナケータイをさもステキなもののように紹介するから、子どもがファッションアイテムのひとつとして持ちたがる。これも、子どもが「ケータイに振り回されている」ひとつの例だろう。

ついでに言っておくなら「お子さまの安全のためにキッズケータイ」てなテレビCMを打つ(防犯ブザーやGPS、フィルタリングで安全が買えるとは到底思えないが)一方で、エロサイトや出会い系にも当たり前のようにアクセスできるアクオスケータイをプッシュする広告をジュニア誌で打つ。このダブルスタンダードは、いかがなものだろう。

ちなみに、この『ニコ☆プチ』春号を買ったとき、本屋のレジに一緒に出したのは『ユリア100式』最新刊。『ニコ☆プチ』は最近増えてきた「子どもとネット」「教育問題」なんて仕事のためのものだが、状況証拠だけにフォーカスするなら、一点の曇りもなくアレな人だ。帰路、パトロール中の警察にカバンの中身を確認されようものなら「ちょっと一緒に来てもらえるかな」なるお言葉を拝受することは請け合いだ。ボクがもしポリスでも、やっぱりボクに署までのご同行をお願いする。

auもそんなヤツからDISられたかねぇだろうなぁ。ごめんなさい。

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2007/01/25

『新婚さんいらっしゃい!』に端を発して、どこにも着地できなかった雑記

『新婚さんいらっしゃい!』がヒドい。

もはや説明不要だとは思うが、同番組は毎週新婚夫婦が2組ずつ登場し、馴れ初めや新婚生活についての面白エピソードを披露するというもの。なのだが、そのエピソードの大半はシモネタだ。出演者は、やれ「私(嫁)は彼(旦那)とどうしてもセックスしたかったので、初デートの帰り、強引にホテルに連れ込んだ」だの、やれ「旦那の実家で両親が寝ている横で声を押し殺しながらヤった」だのといった身も蓋もない話を方言丸出しで披露する。日曜日の真っ昼間っから。

そのアナーキーさが堪らず、毎週視聴しているわけだが、今週、究極型ともいうべき夫婦が登場した。

それが、北海道に住む自衛官とその嫁。旦那は自衛隊での習慣が抜けないのか、家庭でも嫁に物を頼むときはすべて命令口調。「茶を煎れてこい!」。それにカチンと来た嫁は反撃に出る。旦那が風呂で頭を洗っている背後から自分の母乳を引っかけた!

さて、手垢のついたセリフを吐かせていただこう。

それなんてエロゲ?

それなんてエロゲ?」は、発言者がエロゲをプレイしているからこそ出てくるセリフだ。そして、こういう人たちは一般的にオタクと呼ばれがちだ。

オタクはいまだに「性犯罪に走るおそれがある」なんて目で見られる節がある。ところが、彼ら(ボクら)は、常識的・倫理的にあり得ない恋愛シチュエーションに対して「それなんてエロゲ?」と混ぜっ返す。これができるのは「エロゲやポルノメディアの中で起きていることはあくまでフィクション。それと同じことをリアルの世界で実践するのは、もはやタチの悪いジョーク」という認識があるからだ。

翻って、件の自衛官夫婦。その出会いは嫁が中学時代、当時高校生だった旦那を逆ナンしたことなのだとか。逆ナンすることも、それに引っかかることも、およそオタクとは相容れない行動だ。おそらくエロゲをプレイしたことはないし、人生においてただの一度も「それなんてエロゲ?」なんて尋ねたこともないだろう。そんな彼らが母乳ぶっかけプレイにいそしみ、あまつさえ、その事実を公共の電波に乗せる。それを白日の下に晒すこと込みで、エロスについては、エロゲ並にアグレッシブだ。

と、ここまで書いて気づいたのだが、オチが見つからない。

「エロゲをプレイする連中ほど、夜のアレコレについては常識的」と書いた以上「事実は小説より奇なり」ではない。そのエロゲヲタとてフツーに恋愛することだってある以上「現実の恋愛、おっかねぇ」とも言えない。「DQNスゲー」というオチにするには、自衛官夫婦のパーソナルインフォメーションが少なすぎる。彼らがDQNなのか否か、ボクは知らない。

ただ、なにか名状しがたい違和感と、自衛官夫婦の品のなさに対する笑いと嫌悪感があるだけだ。

ああ、最後、人の悪口になっちゃったよ。「それなんてエロゲ?」までで書くのをやめておけば良かった……。

もうひとつ「☆2ちゃんねらーが選ぶエロマンガ大賞2006☆」で第3位に輝いたヤスイリオスケ『エロマンガみたいな恋しよう』(パツンパツンで丸顔の女子と、あっけらかんとしたおバカなエロが大好物のボク的には、非常によろしい一冊)を取り上げて

→「しよう」ということは「エロマンガみたいな恋」は努力目標
→つまり、今現在、読者はそんな恋をしてはいない
→しかも読者はバカじゃない。いわゆるエロマンガの内容を考えてみるに、そんな恋、常識的・倫理的にできない、しちゃいけないことは知っている
→ゆえに、エロマンガ読者=オタクの夜の生活はクール
という屁理屈も考えてみたのだが、もはやわけがわからないので、お蔵入り。この蔵の扉は一生開けないと思う。

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2007/01/24

「先生」と呼ばないで

先日まで数度にわたって書いていた青橋由高先生のインタビューについて、青橋先生と同じフランス書院・美少女文庫などで活躍する森野一角先生のブログで取り上げていただいた。

日記? 月記? 年記? - BLOG『三十路でアニメ』に

青橋由高さん(ご本人が『先生』呼称を嫌がってたので『さん』表記)
確かにインタビュー前に言われた。「先生って呼ばれるの、なんか苦手なんですよね」。気持ちはわかる。妙に持ち上げられすぎている感じがして面はゆいのだろう。バカにされている気さえするのかもしれない。

しかし、僕はインタビュー中「先生」と呼び続けた。「先生、先生」とすり寄るバカを演じる「太鼓持ちプレイ」を存分に楽しませていただいた。

もうひとつ、マジメな話をしてしまえば、作家はやっぱり「先生」なのである。

高校3年生のころだか、大学に上がったばっかりのころだかに読んだ、いとうせいこうの『全文掲載』――いとうがそれまでに雑誌等に寄稿したエッセイ、日記などを、文字通り全文まとめた本――の中に、岡部まりとトークイベントに出演した日の日記がある。

イベント前と後に、運命論的である岡部さんと、偶然主義者である私の違いをゆっくり話した。すべて決定されていると思うことのできる岡部さんを1(つまり、完成された存在を信じることのできるシンボル)とすると、私はあくまで0(常に先が白紙とでも説明しておく)であること。そして、1から1億よりも、1と0の距離の方が遠いこと(だって、あることとないことの距離だからね)などを図で解説した。
引用が少々長くなってしまったが、ここで話したいのは運命論や偶然論のことではない。最後の「1から1億よりも、1と0の距離の方が遠い」ということだ。読んで以来、ずっと頭に引っかかっている。酔っぱらっては、このことを力説した経験は1度や2度ではない。受け売りもいいところなのに、臆面もなくよく話すもんだ。

僕のような雑誌で記事を作るライターは、何らか事件やイベント、トピック、つまり「完成された存在」である「1」のできごとに、本人取材や周辺取材、資料調査などを加えて「2」なり「10」なりにアンプリファイ(「誇張」ではなく「拡大」「増幅」と訳していただけると幸い)するのが仕事だ。対する作家は、なにもネタのない「白紙」の状態=「0」から、物語という「完成された存在」たる「1」を生み出す職業だ。同じくモノを書く仕事だが、その性格は実は大きく違う。

そして、僕にとっては、0から1までの距離はとてつもなく遠い。物語なんて作れやしないのだ。インタビューなり取材なりで人から聞いた話を抜き書きするのがせいぜいだ。だから、僕のたたずむ「0」という地点から、僕にはきっと到達することのできない「1」という地点にリーチできる人のことは、せめて対面したときなど、しかるべき場では、敬意を込めて「先生」と呼ばせてもらおう。

それがどんな作品であれ「ない」から「ある」を作ることができるって、スゴいと思うよ、いやホントに。

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2006/05/11

『「ぷっ」すま』に端を発して、妙なところに着地する雑記

一日一歩~青橋由高の特別でない毎日~「テレビって凄いですね」 http://blog.livedoor.jp/aohashi_yutaka/archives/50447524.html
今週の『「ぷっ」すま』内で、草彅剛とユースケ・サンタマリアが『メイドなります!~彼女は幼なじみ』を朗読したところ、著者・青橋由高先生のブログのアクセス数が予想以上に伸びたそうだ。ついでに言っておくと、4カ月ばかり放置していた弊ブログですら、この1~2日、アクセスが増えている。アクセス解析の検索語の項を見ると「青橋由高」の検索数とアクセスの増加数が、おおむねカブる感じだ。青橋先生、ありがとう!

数年前「今年のネット重大ニュース」なんて企画でARTIFACTの加野瀬さんを取材したことがある。綿矢りさが芥川賞を受賞した年だ。当然「りさタン萌え」についても触れてみた。なんでも、受賞直後にARTIFACTに綿矢りさのルックスに触れるエントリをアップしたところ、それから1週間、異様にアクセスが伸びたのだとか。で、加野瀬さんの言葉。

「ニュースやワイドショーで彼女を知った人たちが『どんな人なんだ?』と検索をかけた結果だろう。テレビを観たり、他人と会話をしたりしていて、わからないことがあったら、それをネットでちょっと調べてみる。本を読んでいて、知らない言葉に出くわしたら辞書を引くのと同じで、この行動はすごく正しいネットの使い方だと思う」
冒頭のリンクとボクに降りかかった一件に触れ、なんとなくこれが思い出された。こんなの今となっては、当然も当然の感覚なので、なんとも恥ずかしいのだが「ああ、ネットって本気でカジュアルになったし、みんな、使いこなしてるんだなぁ」と、ようやく実感できた気がする。ホントに人より発育の遅い子だなぁ、俺!

そんなネットユーザー賛歌とは対照的に、ボクには反省すべきがもうひとつある。実は弊ブログ、青橋先生からトラックバックやコメントをいただいているため、「青橋由高」でググると、中途半端に好位置に表示される。ところが、青橋先生の著作のレビューは載っていない。検索すると引っかかるくせに、中身はない。つまり、一番やっちゃいけないSEO対策をしているわけだ(もちろん「図らずも」だが)。

「ファンだから」なんつうトンマ極まりない理由で、年末のクソ忙しい時期にインタビューまでさせてもらっているのだから(しかも、お打ち合わせの場にちん入して、だ)、これは当然是正しなければならない。もちろん、著作のレビューはしよう。

で、もうひとつ、1/24に言ったきり完璧に放置しているインタビューのアウトテイクスも絶対書く!

と言いたいところなのだが、実はこいつが悩ましい。

インタビュー原稿を書く場合、録音した音声をそのまま文字化する「テープ起こし」なる作業を事前にしなければならないので、すでにテキストデータはある。ところが、これが長い。単純計算でざっと3~4万字。『ロッキング・オン』かっつうの! ひとえに下らない質問を連発したボクのせいだ。もちろん、先生の許可をいただければ、の話ではあるが、全文掲載できたところで、まあ、ブログ上で読みたい文字数じゃない。だいたい、全世界に開けっぴろげになる上に、コピーし放題のネットであの一部始終を公開するお許しがいただけるのか、はなはだ疑問だ。とはいえ、先生はどんな質問に対しても、しっかりオチを付けて返してくれるもんだから、オフレコ部分以外を削るのは非常にもったいない。

というわけで、こちらに関しては、形式等々、発表の仕方を検討してみよう。だいぶん前の話になってしまったため(前の話にしてしまったのは、まぎれもなくボクだ)、管理人氏ご自身も覚えていらっしゃらないかもしれないが「楽しみに」と書いて下さった方もいるわけだし、ちょっと考えてみることにする。期待せずに待て!(それこそ、マテ!)

【おまけ】
上記加野瀬さんの取材がらみでもうひとつ「ネットにいる男子は、イケイケ系のキツめのルックスの女子よりも、りさタンとか眞鍋みたいなタヌキ顔の方が好きなんですかねぇ」てな話にも花が咲いた。今「文化系女子」なんつって取り上げられてる女のコたちを眺めてみるに、あながち外れていない気もする。メンタリティってツラに出るわけだし。

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2005/04/26

オマージュいくない?

4/22のエントリー「ぬるヲタが斬る」さんにご紹介いただき、そのぬるヲタさん(って、スゲー失礼な呼び方だな)のエントリーを「カトゆー家断絶」さん(すでに過去ログに沈んでます)が紹介していたこともあって、ここ数日、結構な数のアクセスをいただけた。多謝。

ただ、それゆえにいらぬ誤解を与えてしまったのも事実。ぬるヲタさん、カトゆーさんでは「ハチクロOPの元ネタを紹介しているサイトがあるよ」と、その事実を淡々とご紹介いただけたのだが、どうも2ちゃんねるあたりでは「パクリ検証サイト」のように扱われている感がある(URLや記事内容を大勢の目に触れるところに貼り付けてくれたことはすごくうれしいのだが……)。親告罪である著作権違反があろうがなかろうが、当事者ではないボクには全然関係ないし、興味もない。また、利害関係があるわけでもないのに義憤に駆られて、パクリ検証サイトを開設してファンに啓蒙を促そうとしている人は、正直、ちょっと苦手だ。何でそんなに熱くなれるんだ?

そこで、かのエントリーをどんなつもりでアップしたのか、一応書き付けておこうと思う。

まず、はっきりさせておきたいのだが、ボクはオマージュやパロディが大好きだ。作者と自分の間に「元ネタを愛する者同士」という、ある種の共犯関係が生まれるのがすごく楽しい。「作家がこっそり仕掛けたワナに自分は気づけた」という、しょーもない優越感に浸れたりもする。「○○の元ネタは××らしいよ」なんて話を聞けば、その作品を探し歩いたりもする。根がオタクなのだろう。だから、ハチクロのOPがシュヴァンクマイエルチックなのは、喜ぶことでこそあれ、忌避することでは絶対にない。

では、何がイヤなのか。それは、4/22のもうひとつのエントリーで紹介した野田氏の発言だ。

gondry1例えば、ビョークの『Human Behavior』という楽曲のPVは、ロシア人アニメ作家、ユーリ・ノルシュテインの『霧につつまれたハリネズミ』という作品にすごく似ている。上記リンクと右の画像を見比べてもらえればわかるが、ハリネズミは出てくるわ、ビョークは川に流されるわ、もう笑っちゃうくらい酷似している。しかし、何らイヤな気はしない。むしろ大好きだ。

gondry2なぜなら、このPVの監督、ミシェル・ゴンドリーが、彼のPV作品をまとめたDVD『DIRECTORS LABEL ミシェル・ゴンドリー BEST SELECTION』のライナーノーツで、こう発言しているから。

ユーリ・ノルシュテインの「霧につつまれたハリネズミ」が、「Human Behavior」のビデオに影響を与えています。この映画は、僕が世界で一番好きなもののひとつです。これは霧の中にいるとどんな気持ちになるかを延々と語っている物語です(以下『~ハリネズミ』がいかに素晴らしい作品かをダラダラと語る)
つまり「好きな映画だからモチーフに使わせてもらった」というわけだ。それなら、仕方がないじゃないか。世界で一番好きなんだもん。そりゃ、マネたくもなるって。同じく優れたオマージュ・パロディ作品を作るなら、引用元がある事実を隠す人物よりも、あっけらかんと告白する人物の方がずっと好感が持てる。それにゴンドリーが『~ハリネズミ』ファンだとわかったのも、すごくうれしいことだ。なんだ、お前も? オレも大好き!

だいたい、世の中にこれだけコンテンツがあふれかえっている今、それらにまったく影響を受けずに創作活動をするなんて、まず不可能だろう。だから、その作品自体に好感が持てさえすれば、オマージュだろうとなんだろうと、正直、構わない。反対に好感が持てない作品は、それがどんなものであれ、捨て置くだけだ。だから、ハチクロのOPは取り上げさせていただいた(ついでに言っておくと、オマージュではないが野田氏が手がけた月桂冠のCMも好きだ。ぬいぐるみがこれっぽっちもかわいくないところがイイ)。それに、前述のとおり、オマージュ・パロディ作品に触れて、共犯関係を楽しんだり、元ネタを探したりするボクのような人間も少なくないはずだ。4/22のエントリーを意地悪な目でご覧なった方々には非常に申し訳ないのだが、真意は単純なのだ。元ネタがあることをぶっちゃけたところで何にも恥ずかしいことはないでしょう。それはそれで立派なオリジナルですよ、と。隠しごとはカッコ悪いからやめましょうよ。そういうの嫌いだな、と。ただ、それだけだ。

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2005/04/22

それは違う

newtypeおととい、ある仕事の資料用にアニメ誌、ゲーム誌を大量に買い込んだ(「どんな仕事だよ」ってなツッコミもあろうが、まあ放っておいてくれ)。そのうちの1冊、角川書店『Newtype』誌に、4/16のエントリーで紹介した『ハチミツとクローバー』のオープニングのアートディレクター・野田凪氏のインタビューが載っていた。

原作にすごくいろんな創作料理が登場したのが印象的で、たとえばアーティストとして未来を嘱望されているはぐちゃんだったらこんなお料理も作っちゃうんじゃないかな、と想像して、それを実際の形にしようと
おい、ちょっと待て。「想像して」じゃないだろ、「想像して」じゃ。4/16のエントリーのネタ元であるid:takeshitoさんも指摘していたし、ボクも書いたが、どう見たってヤン・シュヴァンクマイエルの『Food』や『肉片の恋』のオマージュだろうが。映像自体はあっけらかんとエグくて楽しいし、十分ハイクオリティなんだから「それっぽい映像を目指した」とか言ったって別にカッコ悪いことなんてひとつもない。件のエントリーに書いたとおり、質の高いオマージュだ。なのに、なぜこんなことを言っちゃう?

というわけで今日中にDVD『ヤン・シュヴァンクマイエル短編集』のレビューを公開。あわせて、オマージュであろうシーンを紹介する。

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2005/04/16

『ハチクロ』オープニングアニメ

hachikuro「ハチミツとクローバーのOPはヤンシュヴァンクマイエル風味」とのことなので、遅ればせながら観てみた。なるほど、おっしゃるとおり。皿の上の食べ物(本物)が、おもらしパンツ、ミイラ男、オッパイ、トンボ、女のコ、口、手(血を思わせる赤い文字で「help」と綴る)なんかにバリバリと変態。確かに『Food』シリーズっぽい(シュヴァンクマイエルの代表作のひとつ。下記リンク参照)。エロス、バイオレンス、死、虫なんかに妙にこだわるのもシュヴァンクマイエルと通ずるものがある。しかも、明るいデジタル映像な分だけ、こちら方がタチが悪い。あっけらかんとエグい。

ネタ元の管理人・id:takeshitoさん的にはちょっと「?」みたいだけど、ボクは嫌いじゃない。むしろ好き。そもそもこの手の何の脈絡もなく変態を続けるオブジェクトアニメは大好物だし、夜中とはいえキー局でこんなイカレ気味の映像を放送しちゃう根性も◎。十分クオリティも高いし、あんまり「同人アニメ」って感じはないかなぁ。質の高いオマージュって感じ。ビートルズに対するオアシスみたいなもの?

しっかし、パーフェクトな布陣だね。オープニングがフードアニメで、劇盤がYUKI、スネオヘアー、スピッツ、スガシカオ。そして、原作は当然『ハチクロ』。中二病・高二病のハートをスナイプするのにうってつけのアイテムばっかりだ。もちろん、ボクもきっちりスナイプされた(劇盤参加のミュージシャンはひとりとして好きじゃないけど)。雰囲気や世界観を作り込んでいない映像作品なんてクズ中のクズだし、作品自体上質だったんだから、このラインナップで大正解なんだけど、それにしてもキメキメだよなぁ。

なお、オープニングアニメのアニメーターは森まさあき氏。『とんねるずのみなさんのおかげです』のオープニングとか、『ガラガラヘビがやってくる』のPVなんかの監督だ。アートディレクターは野田凪氏。NIKEやラフォーレの広告を手がけている。

⇒関連リンク:フジテレビ<ノイタミナ>『ハチミツとクローバー』
         Jan Svankmajer『Food』(ちょいグロいです)

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2005/04/13

矢口真里のクレイアニメ

yaguchi2時からの『ガラスの仮面』まで時間をつぶすべく観ていた『やぐちひとり』石田卓也監督が登場。監督がオープニングのクレイアニメを担当している『クレヨンしんちゃん 伝説を呼ぶブリブリ3分ポッキリ大進撃』のプロモーションなのだろう。

そこで矢口真里と劇団ひとりと一緒に制作したクレイアニメが右図。シャレで作ったものだけに、まあ、どうってことのない作品なのだが、劇団ひとりの作ったキャラがなにげによい。細長い板を丸めたものに目と口を付けた「ちょっと著作権に引っかかりそうな」(本人談)キャラなのだが、回転しながら丸まったり伸びたりといったアクションができる。この動きが非常にクレイアニメ的。マヌケなキャタピラのように画面手前に進んでくる。一方、矢口の作ったのがトマトちゃん。赤い丸に目と口が付いただけ。当然、たいしたアクションはできない。「なにか粘土細工をしてください」って言われたら、フツー、矢口的なものを作るよな。もともと好きなコメディアンではあったが、妙なところで劇団さんを見直した。

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2005/04/10

シュヴァンクマイエルTシャツ

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svankmajer「文化服装学院在学中、『東京セックスピストルズ』なるパンクバンドのボーカリスト『ジョニオ』として活動」という微妙に中二病のケを感じさせなくもない経歴を持つデザイナー・高橋盾(バリバリ中二病だった高校生当時のボクはファンだった)。そんな彼のブランド「UNDERCOVER」は、パリコレの2004-2005年秋冬コレクション2005年春夏コレクションで、ヤン・シュヴァンクマイエルの作品をモチーフにしたアイテム群を立て続けに発表。現在、青山のフラッグシップショップで、2005年春夏コレクションのアイテムの販売とシュヴァンクマイエル作のオブジェや絵画(右図)の展示を行っている。

COMME des GARCONS、YOHJI YAMAMOTOに続くジャパニーズブランドのネクストカマーとして世界のファッションシーンで大注目されているブランドのアイテムをド素人のボク風情が云々するのもおこがましいのだが、非常にオモロい。「お人形さんに自分の身の丈よりも大きいハサミ」やら「アナログ系エフェクターに耳」やらといったノリは、確かにシュヴァンクマイエルと同じイカレ方だ。

これなら結構勇気のいる金額を突っ込んだ意味もあろうというもの。とりあえず、この夏はハサミTシャツと耳Tシャツで女のコの視線を独り占めさせていただこうと思う。

以上、所信表明終わり!

※Tシャツ画像をクリックすると大きなサイズで見られます。

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2005/04/08

『フタコイオルタナティブ』エンディングアニメ

futakoiテレビ埼玉では昨日深夜、というか、さっき放送だった『フタコイオルタナティブ』昨年7/14に紹介した『ニニンがシノブ伝』と同じユーフォーテーブル制作で、エンディングは『シノブ伝』同様オブジェクトアニメ。『シノブ伝』はパペットアニメだったが、今回はクレイアニメだ。お茶を煎れたり、包帯を巻いたりと、キャラクターの動きは細かいし、背景アイテムも作り込んである。すごくよろしい。怒濤の勢いで突っ走った本編のあとだけに、このノンキな和み系テイストはホッとする。

『シノブ伝』のエントリーで「(オブジェクトアニメが)お家芸なのかしらん?」なんて書いたが、完璧にそうみたいだね。『蒼い海のトリスティア』のエンディングがクレイアニメで、『住めば都のコスモス荘~すっとこ大戦ドッコイダー~』のエンディングは紙人形アニメ(アイキャッチはクレイだったかな)だし。これを機に「萌えオブジェクトアニメ」なんてジャンルができると面白いんだけどなぁ。なんて戯れ言はともかく、「オブジェクトで萌え」は画期的な新機軸だし、これからもガンガンやっちゃっていただきたい(って、シノブ伝のエントリーと、まったく同じオチだね。ごめんなさい)。

それと、取材してぇなぁ。今つきあいのある媒体でコレ系の情報を扱うところなんて1誌もないんだけど。作り手に「なんでオブジェクトなのか」、すごく聞いてみたい。だって、1枚絵にカメラが寄ったり引いたりしてるだけのイージーなエンディングアニメが山ほどある中、コマ撮りなんて絶対余計な手間だもん。こういう一見ムダっぽいことに鬼のように注力してる人は無条件でリスペクト。ぜひともお会いしたい。

いろんなアニメ情報サイトでレビューされるとは思うけど、一応、本編の感想なども。

スミマセン、完璧にナメてました。本作は、今年頭にテレビ東京で放送していた『双恋』のスピンオフもの。本編たる『双恋』があまりにアレだったので「どうせ、こっちもアレでしょ」なんてタカを括っていたんだけど、いや、面白い。『双恋』は行けども行けども、ご都合主義的なヌルい萌えばかりだったが、こちらは、触手に追い回されるわ、原チャリでカーチェイスだわ、ヘリで大爆発だわの「アホアホスペクタクル」。映像、セリフ回しに、やたらめったらスピードとパワーがある。各キャラクターがいろんな場所で同時多発的に巻き起こす物語を、主人公による人物紹介を交えてカットアップしていく演出も気が利いている。イマドキの単館系日本映画みたい。主人公がクソ下らない一件から、とんでもない事態に巻き込まれちゃうのも、それっぽい。コメディ調の探偵物としては、すごくイイ出来だと思う。

futakoibus【オマケ】
→は某誌「萌え特集」担当時に「使えるかも」と思って撮影した『双恋』ラッピングバス(結局使わなかったが)。ちょっとわかりにくいけど、ちゃんと「二子玉川駅」行き。

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2005/04/04

TAF2005会場におけるヲタとサブカルの境界線と、「もう中二病・高二病でいいや」宣言

チラシの裏、パート2。

mixi・4/2の日記
12946141_143午前中、東京国際アニメフェア2005に行って来た。めあては、特設シアターBの「Best of Annecy 2004」。カンヌ映画祭のアニメ部門に当たるアヌシー国際アニメーション映画祭の昨年の受賞作の特別上映だ。右の写真のとおり、入場にえらい時間がかかったので、10時30分の開演には間に合わなかったのだが、観られた作品については近々レビューしようと思う。

12969043_119さて、本題。右図はTAF2005会場の出展ブースのおおまかな傾向だ。「地上波、衛星放送のアニメの制作会社や放送局のブースがひしめく中、右端の方でCGクリエイターやらクレイアニメ作家やらといった、いわゆる“アーティストさま”や、海外の財団・企業がひっそりと出展しています」というだけのことなんだけど。

当然、その顔ぶれも違っている。左側ではコスプレの女のコが笑顔を振りまいて熱心にチラシを配っていて、お客も結構ノリノリでそれを受け取ったり、写真を撮ったりしている。一方、右側はブースの中も外もニットキャップにオサレTシャツのあんちゃん・嬢ちゃんや、なぜか和服姿の微妙な年齢のおねいさん(ハレの場に唐突に和服で来ちゃうサブカル女子っているよね?)といった重度の中二病・高二病患者が地蔵のように突っ立ってるだけ。出展者側はまだしも、客がスカしてどうする?

ボクはこの中二病・高二病特有の自意識の高さが苦手なつもりだった。文字通り、高二、なんなら大二のころの自分を見ているようだから。当時、かなり重症だったもん。MCハマーやビーイング系をノリノリで聴いてるヤツとか、森高千里のファンクラブに入ってるヤツのこと、ホントにバカにしてたし、口もききたくなかった。聞こえよがしにそれらの悪口を言ったりね。で、自分は鼻高々でデトロイトテクノやマンチェスター系ギターロックにバイト代や小遣い全額突っ込んでるの。右側ブースのスカした振る舞いにも同じメンタリティが見て取れるんだよねぇ。「オレが好きなのは、マスプロダクトのアニメとはひと味違うぜ」って感じ?

ただ、さすがに25歳を超えてからは「森高とストーンローゼズに何の差があるんだか」と至極当然のことに気づいてしまったわけ。だいたいボク自身、中学生のころ、TM Networkとか尾崎豊とかがフツーに大好きだった「高校デビューのサブカル野郎」の分際で調子乗ってんじゃねぇよ、とも思う。右側ブースのみなさんも、そんなもんでしょ? 今でこそスカしてるけど、最初に買ったレコードはPILとかじゃなくて、菊池桃子だったり、とんねるずの『一気!』だったりするんでしょ、どうせ。

だから、こういう「マイナーなコンテンツが好き」という事実に依拠して「自分はマニアックだ」と言い張ろうとする姿勢や、スカした態度を取ろうとする根性が、昨日まですごく嫌いだった。それこそ、口もききたくなかった。弊ブログでも、

「アカデミー賞受賞歴もあるアートアニメの巨匠の作品の翻訳や声優を『はな』に任せるヤツは氏ね。そんなに“マニアック”で“オサレ”なアイテムに仕立てたいか!」

「『MIND GAME』はボンクラ文系男子が『有言実行』や『気合い』といった非常に体育会系的でマッチョなキーワードをもってして再生するドラマ。これを観たボンクラ男子はグダグダとゴタク並べる前に手を動かせ」
ってな具合に、患者の好きそうなコンテンツを引き合いにツッコミを入れてきた。これはこれで大人げない気もするのだが、おかげさまでいくつか賛同もいただけていたので「やっぱ中二病、ダメっすよ」なんて納得していた。

しかし、本日、痛感しました。ボク、中二病・高二病大好きです!

12946141_200右の写真のとおり『撲殺天使ドクロちゃん』やら『苺ましまろ』やらのステッカーをもらっちゃうくらいだから、ヲタ系コンテンツは決して嫌いじゃない。この間の『舞-HiME』の最終回にはマジギレしかけたし(笑)。だけど、本フェスティバルのメインたる左側ブースのノリ、――壁面にパステルカラーのアニメキャラが大写しになってるブースでド派手なコスプレのコがチラシを配ってる状況――、のただ中にいるのは、なんともケツの座りが悪い。

「キモい」といったネガティブな感情は一切ない。ちょうどナンパバコ(踊りメインじゃなくて、ナンパ目的のクラブ)とかキャバクラに連れていってもらった時と同じ「しっくりこなさ」がつきまとう。要はその文化圏での振る舞い方がよく判らないのだ。萌えコンテンツもダンスミュージックも女のコも大好きなのに、場のノリにはどうしても着いていけない。

それに対して、右側ブースの居心地のいいことったら。まあ、コマ撮りアニメの実演をしていたりと、ブースのラインナップが好みだったっつうのはあるけど、非常にケツの座りが良い。パステルカラーの渦から抜け出して、あの渋谷のレコード屋のごとく不干渉&無愛想な世界に足を踏み入れると、正直ホッとする。20分くらいズーっとコマ撮りの実演を観ちゃったし。当然、その間、作家の方との会話は一切ナシ! お互い何か声をかければいいのにね。結局、ボク自身、中二病の罹患経験があるから、同類のムジナのいる穴はやっぱり落ち着くんだろう。

以下、反省。「マイナーなコンテンツが好き=自分はマニアック」にはいまだに承伏しかねますが、同族嫌悪はもうやめます。スカした環境下だと妙に落ち着くので。スミマセンでした。これからは患者であった(ある)ことに照れずに生きていこうと思います。これまでの発言に嘘偽りはないので、エントリーこそ書き換えませんが、ブログもそれ風にリニューアルします。Q数をさらに小さくしてみたり、オサレイラストをあしらったバナーを作ってみたり、クソ重いフラッシュ置いてみたり(嘘)。

#図の永世中立国は「プロダクションIG」ブース。いい塩梅でニットキャッパーズのみなさんが混ざってた。
##図はスゲーテキトーですよ。『ハチクロ』関連の情報を展示してたフジテレビとかヲタサイドにあるし。

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『電波男』を読んで

よくブログ界隈や2ちゃんねるで「ブログとmixi日記の棲み分け」について取りざたされている。「原則クローズドで会員外には読むことのできないmixiの話を全世界に配信されるブログでするな!」「クローズドなmixi内だからこそ披露したネタを勝手にブログや掲示板に貼り付けるのはマナー違反!」といったお話だ。どちらもすごく真っ当な意見だと思う。だから、ブログには「DVDのレビュー」や「ディズニーの著作物の取り扱いについて」といったみなさんに面白がってもらえそうなネタを、mixi日記にはプライベートなことや、あんまり表だって言っちゃいけないこと、要は「チラシの裏にでも書いとけ、バカ」と言われそうなことを書くようにしていた。

ところが、ここ数日分のチラシの裏の走り書きについて、ある方々から「限定公開なのが惜しい」「大変面白い」なんて過分なるお言葉をちょうだいしてしまった。どうも、最近話題の「サブカルさん」や「中二病・高二病」についてのくだりがツボにハマったらしい。実際、そこが一番書きたかったところなので、非常にありがたい。そこで、ここでは、件のmixi日記を抜粋・修正して公開しようと思う。

mixi・3/20の日記
しろはたの管理人・本田透さんの著書『電波男』を読み終えた。生粋のオタクである本田さんが、自らのトラウマや恋愛にまつわる過去の恥部を豪快に開陳しつつ、女子がキモメンから搾取したお金をイケメンに流すキャッシュフロー(本田さん曰く「恋愛資本主義」「あかほりシステム」)や、その恋愛資本主義に絡め取られた男子・女子のあり方を痛烈に批判。そして、そんな事情や思惑に巻き込まれることを断固拒否し、二次元キャラクターを脳内夫人、脳内彼女として生きていくと高らかに宣言した怪著だ。まずは、すごく生きにくい道をあえて選ぶ、その覚悟のドン決まり方と、異様に説得力のある筆致にリスペクトを捧げたい。

(中略)

ただ、竹熊健太郎氏のブログでも指摘されていたし、ボクも本田さんと飲んだ時に(7月20日「SPA!のライターさんと~」のくだり)お話しさせてもらったのだが、今後、女のコが言い寄ってきたらどうするんだろう?

本田さんは、これから絶対にモテる気がするのだ。これだけの力作を上梓できる、つまり、仕事のできる男は女のコにしてみれば格好の獲物だろう。それに、mixiのプロフィールなんかに「ちょっとマニアックなものが大好きです」なんて書いちゃう自意識バリバリのサブカル女とかにしてみれば、ヲタネタを引き合いに恋愛を語る「ちょっとマニアックな存在」である本田さんは「憧れの君」ってことになるはずだ。

果たして中野の魚民で聞いた「これしきのことでキモメンのオレに擦り寄る女に愛なんてあるわけがない。だから、いらね」という高潔なまでの童貞イズムを堅持できるのか? ぜひともがんばっていただきたい。

(後略)

mixiの中の人が面白がってくれたのは3段落目。mixi内に「mixiのプロフィールに~」なんて、やたらと具体的、かつ、挑発的なことを書いたからだろう。ただ、実際、女子に限らず、マニアックなアイテムや人にぶらさがることで「他人との差別化を図ろう」「自身をマニアックに見せよう」とするサブカルさんは多い気がする。これが中二病・高二病の初期症状だ。そして、これをこじらせると、いい年こいて「私、ちょっとほかの人とは違うから」なんて言い出して、和服を着込んだり、ニットキャップを目深にかぶったりするようになる。

いや、ボク自身そうだから、間違いないッスよ。

それについては次のエントリーにて。震えて待て!

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2004/08/09

アクセス乞食とお呼び

最近、ディズニーネタへのアクセスが多い(ここ半月、更新していなかったにも関わらずアクセスいただき、非常にうれしかった。多謝)ので、もうひとつお蔵出し。

件の知人が書籍を完成させたため、「自社のサイトで紹介していいか?」とディズニーに打診したところ、「ディズニーのサイトで十分にアナウンスさせてもらうので、出版社のサイトでの広告は勘弁してもらえないか。そういう決まりになっている」との返答があったとのこと。確かに、講談社の絵本『トイストーリー2 新ディズニー名作コレクション5』はディズニーのサイトには紹介ページがあるものの、講談社のサイトではまったく取り上げられず。『ファインディング・ニモ』のDVDもディズニーのサイトでは紹介されているが、メーカーであるブエナビスタのサイトには情報がない。どうも、Webを、テレビやラジオ、雑誌と同じメディアとしては捉えてはおらず、そこでディズニー制作のキャラ、ストーリーを使用した作品を画像付きで広告されるのには難色を示すようだ。キャラクター画像のデジタルコピーを恐れてなのか、単にWebに対するルール作りが遅れているから、とりあえず禁止にしているだけなのか、事情はよくわからないが、まあ、そういうことになっている。当然、個人サイトでの使用など論外だ。たとえきちんと許可依頼をしても、話し合いの余地すらないらしい。

ただ『トイストーリー2~』は、講談社の書籍販売サイト『講談社BOOK倶楽部』では表紙の写真付きで取り上げられている(販売はされていない)。雑誌『ディズニーファン』の情報ページもある。『ニモ』のDVDは、DVDを扱うネットショップでジャケ写付きで紹介されている。さすがに小売りの販売機会を奪うようなマネまではしないらしい(把握しきれず放置しているだけなのかもしれないが)。また、スクエアエニックスのサイトには、ディズニーキャラの画像満載の『キングダムハーツ』のページがある。こちらは、ディズニーキャラこそ出るものの、ストーリーはメーカーオリジナルだからOK(というか、スクエニにしてみたら四の五の言われる筋合いじゃない?)なのだろう。

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2004/07/15

『ニニンがシノブ伝』エンディングアニメ

shinobu『ニニンがシノブ伝』第1回をようやく観る。エンディングのパペットアニメがいい感じだ。劇場版『クレヨンしんちゃん』のオープニングクレイアニメや、いわゆるアートアニメほどバリバリ動くわけではないのだが、キャッチーなテーマソングにマッチした早回し映像が気持ちいい。制作は、アニメ本編も制作する「ユーフォーテーブル」。同社が昨年制作したTVアニメ『住めば都のコスモス荘~すっとこ大戦ドッコイダー~』のエンディングはペーパーアニメだった。お家芸なのかしらん? どちらもデキがよかったので、次回作以降でもぜひ続けてもらいたい。

肝心の『~シノブ伝』本編もなかなか面白い。ギャグはちょっとベタだが、滑ったり、視聴者を置き去りにしたりすることはない。

私たち忍者には頭領の言われたことは絶対なのです。頭領が「猫耳メイド少女がいる」と言えばいる。「血の繋がっていないかわいい妹がいる」と言えばいるのです
など、ボリュームゾーンの視聴者を挑発するイマドキっぽいギャグもある。終始、ノンキというか、脱力系のギャグで押し切るスタイルは、夜中、ダラダラ観るのに向いている。アニメレビュー系サイト風に言うなら「視聴続行決定!」といったところか。

あと、キャラクターもかわいい。「あっ、ニャーだ」。

とりあえず『~シノブ伝』のお話はこれにておしまい。これからオサレアニメを観ます。

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2004/07/09

アニメ道

■ノルシュテイン・インタビュー
「児島宏子の奄美日記」より。児島宏子氏が赤旗で行ったノルシュテインのインタビュー記事のスキャンがアップされている。ボクが知る限り、今回の来日時に取材している新聞は、赤旗だけ。さすが、ソ連人(笑)。内容はクリエイターとしての芭蕉について、『~ハリネズミ』誕生秘話など。いつもどおりっちゃあ、いつもどおり。ただ、

「~私は“道”というものの理解を求め続けているんです」
「作品がみんなのもとに届けられた時、みんながそれを受け取って生きる力を得る、そういうものを作りたい。~」
といった態度は、相変わらず潔いというか、説得力があるというか。かっちょいいなぁ。こんな大人になりてぇなぁ、と三十路ながら思う。

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2004/06/30

アナログピクサーII

■「ピクサー展」の秘密 リッキー・ニールヴァさんらに聞く
6/17のエントリーの関連ネタ。ジブリ美術館で開催中の「ピクサー展」について、ピクサーのアート・ディレクターとマーケティング担当、ジブリ美術館館長のインタビュー。後半の社交辞令の応酬はどうでもいいが、

優れた長編アニメを作るには、3つの大切なことがある。魅力的で心を動かす物語、忘れがたい登場人物、観客を信じさせる世界観。それぞれを十分に検討しなければならない。
には納得。それでなくともアニメなんてウソんこの世界なのだから、いかに説得力のあるストーリーとキャラクターを創造できるかが勝負なのだろう。

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2004/06/17

なべラーマン vs 新宿シンちゃん

■「なべラーマン」登場 やなせさんがキャラ提供
■新宿を真珠のような街に やなせたかしさん考案『シンちゃん』誕生

naberah.jpgやなせたかし関連ニュース2件。画像は「なべラーマン」。御年85歳にしてこの多作っぷり。タフだよなぁ。

いや、好きなのよ、やなせ。以前、ツレが持っていたアンパンマンファンブック(ハマってたご様子)のやなせインタビューを見せてもらったのだが、その言葉に惚れた。曰く「アンパンマンがバイキンマンを完全に退治することはあり得ない。なぜなら、バイキンマンは絶対悪ではないから。世の中に絶対的な悪など存在しない。バイキンマンはあくまで、その時々の正義を害する者にすぎない。そして、アンパンマンは、その正義を害する者に対抗する者。だから、アンパンマンはバイキンマンが悪さをしても、アンパンチを一発食らわすだけ。それでバイキンマンがバイバイキンするなら、追い回して駆逐することはない。バイキンマン=悪ではないし、正義を害する者がいなければ、それに対抗する者の存在意義もなくなるから」(うろ覚えだけどね)。ボクを含め、みんながこれを真に理解できたら、ピースフルな世の中になるだろうなぁ、と感銘を受けた次第。

あと、ドキンが「かつ丼が食べたい」なんてワガママほざいた時、「かつどんマンをシバきに行こう」って考えるバイキンマンは漢の中の漢。ボクだったら、1000円渡して「ソバ屋、行ってくれば?」って言うはず。でも、漢たるもの、それじゃイカンわけですよ。惚れた女の前ではバイキンのようにあるべき。たとえ、アンパンチでブッ飛ばされたとしても。

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2004/06/13

ボクはAX10ユーザー

■ソニーがアニメ業界参上!…家電販売戦略絡み?本腰
ソニーがアニプレックスを立ち上げて、アニメ業界に殴り込みをかけましたよ、というお話。なのだが、

家電メーカーがしのぎを削るDVDレコーダーや薄型テレビの販売戦略にも、アニメが効果を発揮するか。
というシメはちょっと違うのでは? 確かにDVDレコーダーとアニヲタの相性はいい。DVDレコーダーが登場したとき、イの一番に反応したのはアニヲタだし、今、一番DVDレコーダーを有効活用しているのもアニヲタだろう。それに、ソニーのDVDレコーダー・スゴ録シリーズの「おまかせ・まる録」機能(番組名などのキーワードから、その文字列を含む番組を検索。自動録画予約する)は、放送時間が不定期になりがちな深夜アニメの録画にうってつけだ。だから、ソニーがアニメ業界を盛り上げれば「アニメを録りたいから、録画予約の簡単なスゴ録を買おう」という消費者が増える、という間接的な効果は期待できるかもしれない。が、当然のことながら「アニプレックス制作のアニメを録るからスゴ録」という製品の選び方をする人は、まずいない(ZAKZAKの記者もそんなつもりで書いてはいないだろう)。それに、ファイル交換ソフトや映像・音声のストリーミング配信の普及などの影響で「パッケージメディアが廃れつつある」なんて言われている今にあって、何万円もするDVD-BOXを律儀に買うヲタにとって、録画した番組は単に“観る”だけのものではなく、記録型DVDメディアに“保存しておく”ものでもあるはず。彼らは、簡単・便利に録画できるスゴ録よりも、CMカットやチャプター設定といった編集・保存機能に優れた東芝のRDシリーズを支持するような気がする。実際、ボクの周りのヲタも、たいていがRDユーザーだ。メーカーが「○○を録るなら自社製品を」とコンテンツを引き合いにDVDレコーダーを売りたいのなら、松下のように「デジタル放送」や「アテネ五輪」といった多くの人にアピールするコンテンツを持ってくるのが妥当だろう。

ちなみに、ボクがAX10を選んだ理由も上記ヲタマインド丸出し。AXシリーズは録画番組をパソコンに転送できる。番組をDVDに保存するとき、レコーダーのリモコンでチクチク操作するよりも、パソコンのキーボードとマウスを使った方がはるかに快適だと思ったから。衛星放送もCATVで観ているから、BS、CSチューナーはいらなかったし、地上波やCATVの低画質な番組をD端子で出力する必要もないし。ただ、今となってはHDD容量が80GBではさすがに足りないし、東芝からRD-XS53なるステキすぎる製品が発売されることだし、買い換え時かな、とは思っている。

■首位は松下、ソニーが2位…DVDレコーダーシェア
同じくZAKZAKによると、2003年度のDVDレコーダー市場においてソニーが大きくシェアを伸ばしたらしい。これについては同記事にあるとおり「おまかせ・まる録」機能や、ソニーのブランド力のおかげだと思う。これまで、DVDレコーダーと薄型液晶TVでは完璧に出遅れていたソニーだが、本腰を入れればやっぱり強い。AV家電の世界でのブランド力はいまだ衰えずといった感じ。勝ち組に乗りたいなら、これからはソニーかも。

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2004/06/12

まかせてイルか!関連2件

弊サイトでもこれまで何度か紹介してきたOVA『まかせてイルか!』[amazon]
が10日に発売されたことを受けて公開されたコンテンツが2つあったので、ご紹介。

■『まかせてイルか!』OVA発売記念!! 大地丙太郎監督インタビュー

大地 手話とか耳の聞こえない子が主役だったり「その子がかわいそうだね」とか「がんばってるね」といったよくありそうなテーマではなくて、あくまでも、さりげなく登場人物の中にいて、さりげなく普通に手話を使っているというのをやりたかったんですね。
聞き手 特別なこととして取り上げるのでは無く、一緒に生活する中で普通に手話で日常の会話をしているのが、とてもリアリティを感じました。「もたもたすんな!」とか「嫌い~」とか、そんな言葉を手話で見れたのも新鮮な発見でした。
『イルか!』がオモロいというか、いいなぁ、と思った理由のひとつが、これ。耳が聞こえようが聞こえまいが、ムカつくことはあるだろうし、嫌いなものはあるだろう。いまだに障害者=天使みたいに扱う物語が少なくない中、『イルか!』は障害者の怒りや嫌悪(っていうほど、おおげさなものではないけどね)をきちんと描いている。それもシレっと。ちょうど、柴咲コウに「なんでよりにもよってエリートバイオリニストだった私の耳が聞こえなくならなきゃならない? ほかに聞こえなくたって困りゃしねぇヤツがいるだろう」と言わせた『オレンジデイズ』と同じノリなのかしらん? まぁ、『行列のできる法律相談所』のCM中、チャンネルを変えたとき、たまたまそのシーンに出くわしただけで、それきり観ちゃいないので、偉そうに分析的なことなど言えた義理ではないのだが……。それはさておき、当たり前のことを当たり前に提示することは大事だと思う。当たり前のことなんだし。

■元気で爽やか『まかせてイルか!』
こちらは「WEBアニメスタイル」の紹介記事。キャリア十分の大地監督が初々しい作品を作れたことに対する驚きと、上記インタビューで大地監督も語っている「自主制作でアニメを作る労力と新しさ」について。アニメを自主制作するということがいかに手間がかかるかは素人でも想像に難くない。が、大地ヲタとしては、大地監督が、誰にもYES、NOを言わせず、自由に作ったコンテンツというのを、ぜひとも観てみたい。実際、その苦労の末に出てきた『イルか!』はステキな作品だった。これからもぜひとも続けてほしい。あと、これはインタビュー中にあった話なのだが、現場の様子が非常に『くろみちゃん』チックだったのがちょっとオモロ。

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2004/06/10

読書感想文

STUDIOVOICE7月号「アニメを見る方法」(リンク先には7月号の情報は未掲)をようやっと読む。「神山健二×佐々木史郎×佐藤大×藤津亮太の座談会」でイマドキのアニメシーンを語り、今イケてるクリエイター30人と作品30本のレビューをカタログ化。あとは、水島努や前田真宏、渡辺信一郎など、SV読者でも楽しめそうなアニメを作っている監督のインタビューや、“聴ける”サントラガイドなど。「なんか、最近、アニメって話題らしいね」程度には興味・関心を持っている人が「アニメを見る」きっかけにはなりそうな構成になっている。「アニメを観るのにこんなに理屈をこねくり回さないといけないか?」とツッコみたい気持ちもあるが、半面「こういう切り口もアリかな」という気がするのも事実。レコードやCDさえ聴いていればいいところを、ミュージシャンや評論家が理屈をこねくり回す音楽誌を読みたがるのと同じようなものだろう。

面白かったのは、同誌言うところの「恰好つけたほう」のナベシンこと、渡辺信一郎監督インタビュー。というか、そのインタビュアー・大塚ギチ氏の導入部分のテキスト。曰く“モテそう”とか“かっこいい”といった「ベクトルが自分たちの方に向いていないアニメ」(=渡辺作品)は「童貞中学生」的メンタリティを持つアニヲタから「『おされ』の名のもとにうとまれる」。『サムライチャンプルー』は、童貞中学生にしてみれば、ヒップホップ+SHAKKAZOMBIE+スクラッチ演出=減点3なのでは? とのこと。

大塚氏も文中「叩かれるなあこの原稿」と言っているし、挑発しすぎかなぁとは思うが、一面の真実ではあると思う。ボク自身『テディベアのルドヴィック』がラブリーさを強調するために「はな」というわかりやすい記号を起用したことが不快だったわけだし、似たようなものだ。それを「童貞中学生的メンタリティ」と言われれば、おっしゃるとおり。了見が狭すぎる気はする。

それと、アニヲタのメンタリティについて言及している点も面白い。アニメ専門誌にはない(書けない?)切り口だ。しかも、いわゆる「オサレアニメ」を擁護する側からのコメントというのが珍しい。

あとは、渡辺監督の、サムライ~は勝プロの『子連れ狼』シリーズの影響を受けているという発言を読んで「当たった」なんて喜んでみたり。

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2004/05/30

コーナーの先に神を見た

norshtein.jpgautograph.jpg
池袋・LIBROで開かれたユーリ・ノルシュテインサイン会に行く。意外と小さいオッサンだった。勝手に「ロシア人だし、縦にも横にもでかいんだろうなぁ」なんて想像していただけに、ちょっとビックリ。単なるサイン会のため、絵本を渡してサインしてもらって、おしまい。正味3分ほどの出会いだった。特に何の話が聞けたわけでもない。が、好きな映像作家に会えたのは、やっぱりうれしかったり。

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2004/05/21

2時間目の休み時間はおやつの時間

■チェコのヤポンカ~日本人が見たプラハの暮らし
翻訳家・木村有子氏によるチェコ関連エッセー。連載第2回までまったくノーチェックだった……。今回は小学校について。何でもチェコの小学校には「おやつの時間」があるらしい。給食でプリンやケーキが出ると、ムダにエキサイトしていたボクらには何ともうらやましいシステム。しかし、給食プリンって、なんであんなに興奮したんだろう? プリンなんぞ、自宅でフツーに食えるのに。学校というマジメな場所に、プリンという嗜好品が持ち込まれるアンバランスさがエキサイティングだったのかしらん?

あと、音楽の教科書の表紙がえらいかわいい。カレル・チャペック、ヨゼフ・チャペックの昔から書籍の装丁にこだわってきたチェコならではなのかも。

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2004/05/15

女猪木に萌えるための腐れ三段論法

果たしてこのサイトに書くべきことなのか? 「エロゲヲタでプヲタ」と、アートアニメファンってどっちがマイナーだろう? だいたい「プヲタ」って単語をフツーに使っていいのか?(ちなみにプロレスヲタクの略。エロゲヲタはエロゲームヲタクの略) さまざまな疑問は渦巻くものの、ちょっと気になったので。このサイトで今まで一番アクセスを集めた記事って萌えネタ(あとディズニーネタ)だったし、まぁいいか。

ということで、鉄のカーテンって感じの国々のアニメ話を期待しているみなさん、読み捨ててください。

1年くらい前まで某誌でエロゲームのレビューの仕事をしていたこともあり、今でも「話題作」「期待作」と言われるエロゲームはとりあえずチェックしていたりする。で、今年の頭に買ったのが『Fate / stay night』
ただ「大作だ」「やたらと長い」等々の話を耳にしていたので、インストールしたきり、とりあえず放置。同居しているツレがゴールデンウィーク中、風邪で寝ていたのをいいことにプレイ開始。以降、ちょいちょい進めつつ、さっき「凛ルート」まで終了。
で、思ったんだけど、士郎×凛に萌えるのって、今、佐々木健介北斗晶夫妻がオモロいのと同じ仕組みだよね?
実力はあるんだけど、生真面目すぎる上に、どっか抜けてるから、いつも損ばかりしている(あげく、周りがいらつくほどノホホンとしている)男のコを、仕事ができて、性格もイケイケドンドンな女のコがグイグイ引っ張っていくって構図は一緒だよね?
そのカカア天下ぶり(と、時々見せるGirlyなところ)が萌えなんだよね?
ということは、北斗晶って萌えキャラ?
そんだけです。
本当にごめんなさい。

あと「利他的な正義の味方になること=自己の幸せ」という士郎のあり方って『ゼブラーマン』だよなぁ、なんて。

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2004/04/21

Haby君

■広島アニメーションビエンナーレ2004
広島アニメーションビエンナーレ2004は、7月17日~9月5日、広島で開催されるアニメフェス。イメージキャラクター「Haby君」を山村浩二監督がデザイン。かわいくもあり、タチが悪くもあり。なんとも、らしくて、好きかも。正直、嫌いなんですよ。都バスの「みんくる」みたいな、公募にありがちな素人丸出しのキャラクター。「ゆるキャラ」を提唱するみうらじゅんや、AEIOUさんみたいに、あえて笑っちゃおうって気持ちはすごくわかるけど、ボクはこの手のキャラを見てると、なんか、しんなりした気分になってくる。それに引き替え、これはやっぱりプロの仕事だよなぁ。

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2004/04/14

驚愕

■「頭山」受賞歴
なぜ、このタイミングでこんなデータがアップロードされたのか、真意はさっぱりわからないが、インパクトは十分。実際、素晴らしい作品だと思うし、アカデミーやアヌシー以外でも評価を集めているのも知ってはいたが、こんな数になっていたとは……。文句なしに世界に誇れる国産映像コンテンツだ。にもかかわらず、メディアでの扱いはやっぱりイマイチなんだよなぁ。評価を集めたのは去年だし、ニュースバリューはないかもしれないけれど、まだまだ本作を知らない人は多いはず。バッチリ盛り上げてもらいたいところ。ビジネスになるからって、ジャパニメーションや玩具アニメの世界進出ネタばかりじゃなくてさ。[amazon]

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2004/04/05

続・もっとフツーにできないものかね?

4/2の記事にトラックバックとコメントをいただいた。ありがとうございます。「ゴチャゴチャうるせぇなぁ」なんてツッコミも来るかな、と思っていただけに、おおむね同意をいただけたのは、うれしい限り。そこで、ほとんど前回の繰り返しになりそうな気もするが、お返事がてら、投稿をば。

まず、でどちんさんによる「AEIOU」4/2の記事

これではストレンジアニメの価値はいつまでたっても向上しません。「ストレンジだかなんだかしらねえがアニメなんてマニアの観るもの、子供の観るもの。」で片づけられて終わりになってしまいます。変な色づけはしないで、ストレートに作品の良さ、貴重さを伝えて欲しいものです。
全面的に賛成。というか、ボクが言葉足らずだったこと(売り手自らマイナーたらしめてどうする? というツッコミ)を補完していただけているのが、非常にありがたい。例えばアダルトビデオや萌えアニメ、アイドル映画のように特定のファン層を狙った映像作品なら、特にその層の興味を引きそうな売り出し方をすればいい。これは「変な色づけ」ではなく「素直な色づけ」だ。しかし、ルドヴィックのサイトの中で、山村浩二監督が「高品質で、子どもだけでなく、大人も楽しめる短編アニメーション」とコメントしているとおり、同作は「はな」のファン、でどちんさん言うところの「キュートキュートした」世界観が好きな人にのみ向けられた作品ではない。なのに、プロの声優でもなければ、翻訳家でもない「はな」に吹き替えと字幕を担当させたりするのは「変な色づけ」だろう。その色が好きな(ガマンできる)大人しか楽しめない。「(ボクはまったくそうは思わないが)いわゆるハイセンスな人たちに人気の~」という切り口で売りたいのはわかる。そこから火がついた商品・作品も多数ある。が、一方には、映像作品を観るのは大好きだが、オシャレが好きなわけでも、オシャレライフを送りたいわけでもない人がいることを忘れないでもらいたい。

と書いているそばから、kapiさんからは、

でも「ミトン」に比べればサイトの雰囲気はそれほど特異ではないのでは?と思いました。やっぱり「ミトン」が相当に妙な雰囲気だったので、以降、色々警戒してしまう人は多いのかも(^^;)「ミトン」のサイト、字が小さいわ色が薄いわでめちゃくちゃ見辛かったです。
と、イノベーターにして、さらにヒドい例を紹介するコメントをいただいた。確かにこれは『ミトン』や、カチャーノフ監督のことを知っていれば「相当に妙な雰囲気」に映るはず。それと、kapiさんのご指摘どおり、このサイト、非常に読みづらい。文字サイズは小さい(文字色も薄い)し、FLASHを使ったウィンドウやメニューがたくさん開く割に情報量も少ない。配給元だか管理人だかの日記を掲載する余裕があるのなら、カチャーノフ監督のバイオグラフィーやフィルモグラフィーなど、ほかに紹介すべきがあるだろう。それよりもかわいらしいサイトデザインであることに注力するあたりからも『ミトン』をどう売りたいのか、よくわかる。

ただ、売る側ばかりを責められないのも事実。「オシャレでマニアックな映像を観ること」、ひいては「それを観ているオシャレでマニアックな自分」「他人とはちょっと違う自分」が好きな人がたくさんいるから、こんな売り方ばかりになるのだろう。このマイナージャンルのファン特有の選民意識も、ストレンジアニメがいまいちメジャーになれない理由のひとつのような気がする。「私たち“だけ”が知っている、魅力を理解できる映像カルチャー」として囲い込もうとしてないか? ただ、オッサンの貧弱な人生経験から言わせてもらうと、この選民意識は思春期にありがちな勘違い。オシャレな(マニアックな)映像・音楽を知っているからといって、本人がオシャレな(マニアックな)人物である証拠にはならないので、ご注意あれ。個性的なのは、あくまで作り手だけ。ボク自身、高校生のころ、デトロイトテクノを聴きながら、MCハマーだの、B'z(ちょうど売れ始めのころだった)だのの話をノリノリでしているクラスメイトを鼻で笑ったりしていたが、今、ボクとそいつらとを比べてみるにつけ、そうそう大差はない。同じようにサラリーマンをやっている。しかも、連中は、旦那さんやら、お父さんやら、係長やらと、ボクにはない肩書きを持っていたり。むしろ、ボクの負けだ。別にストレンジアニメを観たからといって、何者かになれるわけでなし。過剰な期待をせずに、テレビドラマやセルアニメ、ハリウッド映画と同じ、いちエンターテインメント作品として楽しむくらいが気楽でいいと思うんだけどなぁ。

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2004/04/02

J2最終回

4/1のアクセスログを見てみたら「十兵衛ちゃん」「小西寛子」「大地丙太郎」なんてキーワードで検索して、弊サイトにお越しの方が多かったので、今さらながら簡単に感想など。というか、昨夜、ようやっと見ました。

すでにいろいろなところで指摘されているとおり、構成が……。24分の間にあれだけの要素を盛り込んだ上に、きちんとオチもついていたのはある意味スゴイなぁと思う。けど、詰め込み過ぎだよなぁ。その分、説明ゼリフも目立ったし。中盤のほとんど話が動かなかった回の寸を詰めれば、今回、駆け足しなくてもよかったのでは? なんてシロウトながらに思ってみたり。演出、構成、セリフ回しのオモロさが大地監督の魅力だと思っているだけに、ちょっと残念。今回といい、第1~2回といい、自由がフリーシャに切り伏せられた回といい、チャンバラは抜群にカッコよかったんだけどねぇ。

⇒関連リンク:十兵衛ちゃん2 ~シベリア柳生の逆襲~

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もっとフツーにできないものかね?

■テディベアのルドヴィック@渋谷ユーロスペース
『砂の城』のコ・ホードマン監督によるパペットアニメ4作品を上映。日本語字幕・吹替担当は「はな」……。モーニングショーでは吹替版、レイトショーでは字幕版が上映される。4/24~。

かわいいキャラの登場するクレイアニメ、パペットアニメの国内でのメインターゲットは、いわゆるオリーブ少女というか、サブカル系、オシャレ系情報に強い人たちなのだろう(オリーブ少女だの、サブカルだの、どうにも古いね)。実際、チェブラーシカは、この層がいち早く支持していたような気もする。しかし、だからといって、そこにのみフォーカスしたかのような、このサイトのデザインや声優の人選はどうだ? 例えば、映画秘宝読者がCUT誌を嫌うように、オシャレな扱われ方をしているモノ(何かをオシャレなモノとして扱うこと)に眉をひそめる人は少なくない。ホードマンといえばアカデミー賞受賞監督。その作品が「パッケージングがオシャレだから」なんて理由だけでパスされてしまうのはナンセンス。受け手、送り手、どちらにとっても、もったいないお話だ。確かに、朝っぱらや夜中にわざわざこんな映画を観に行くのは、大半がメインターゲットのみなさんなのだろう。そもそも、オシャレ気取りでなかったからといって、いい大人がテディベアアニメを観に行くか? という疑問もある。それでも、この仕掛けはちょっと排他的な気がする。一応、アートアニメ、ストレンジアニメのおもしろさをいろいろな人に知ってもらえたらいいな、なんて気持ちもあってサイトを開設した身としては、なんかイヤな感じだ。もうちょっと広くアピールできる方法はなかったのかなぁ。

ちなみに、ボクは、幸か不幸か本作に興味を持ってしまったので観に行くつもり。忸怩たるものはあるが、作品に罪があるわけでなし。

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2004/03/29

まさに「藪の中」?

■深夜アニメ 納得できぬ打ち切り
(福)氏による『R.O.D-THE TV-』についての記事。文中にはフジテレビの番組編成や機器の調整の都合とあるが、MOON PHASE雑記によると、真相は別のところにあるのだとか。ホントは何があったんだろう? 「放送しないことで飢餓感を煽ってDVDを買わせるプロモーションテクニック」なんて言っている人もいるけど、そんな不誠実なことをしたら制作会社も放送局もファンのヒートを買うだけだしなぁ。もっとシンプル(バカバカしく)、かつ、クリティカルな事情があったような気がする。

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2004/03/13

「知人の話によると」というと~追記

ARTIFACTさんにリンクを貼っていただいたこともあり、弊サイトとしては異例の、他サイトから見れば非常に弱火なアクセスのあった3/9の記事の追記。

ミッキーは、ほかのスターと共演するのは基本的にNG~(中略)~そうなると、『キングダムハーツ』はイレギュラーなんですね。『キングダムハーツ』はイレギュラーなんですね。
その後、あらためて調べてみたところ(件の知人に再度聞いただけなのだが……)、「両雄並び立たず」は何もすべてがすべてアウトなのではないらしい。どちらが「主」で、どちらが「客」かによって事情は違うとのこと。ミッキーがほかのスーパースターさまをゲストに招くのはアウト。反対にミッキーがゲストであれば、検討の余地はあるみたい。要は「ミッキーがほかのスーパースターより下に来てはいけない」というわけだ。あくまで憶測に過ぎないが、『キングダムハーツ』でも、このルールが適用されたのかなと。
「非合法組織でもない限り」許可を出してくれるそうですが、趣味のサークルなどの扱いはどうなるのか気になるところ。ディズニーアニメ研究同人誌を出したいというのならokなんでしょうか。
こちらについては確認できず。とはいえ確かに気になる。個人的にはミッキー×ミニーのエロ同人や、ディズニーを貶めるようはものはさすがにアウトにしても、真摯に研究・分析するものなら、交渉の余地アリのような気がするのだが、実際はどうなのかしら?

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2004/03/09

「知人の話によると」というと非常にウソくさいがホントのお話

■ディズニーの都市伝説
「ディズニーが、『プールにミッキーを描きたい』といういたいけなお子さまたちの願いを踏みにじった」というのは都市伝説なのでは? という記事。おおむね賛成。以下は、知人(出版関係)が自社の出版物にディズニー作品を掲載するに当たって広報担当者と折衝していた時に聞いたお話。曰く「手続きさえ踏んでもらえれば、非合法組織でもない限り、たいていキャラクターの使用許可は出す」(宣伝媒体の場合は若干異なるようだが)とのこと。寂れた商店街がミッキーショーをやりたいのなら喜んでミッキーを派遣するし、学校などの施設にキャラクターを描いてもらうのもやぶさかではないのだそう。法外な使用料・ギャランティを請求することもないらしい。このコメントから考えるに、件の小学校は無許可だったのではないだろうか。であれば、ディズニーの態度には何ら問題はないはず。「著作権にうるさい」という理由で叩かれがちなディズニーだが、コンテンツホルダーが自分の著作権を主張することの何がいけないのだろう? 作品・キャラクターはまったくと言っていいほど好きではないが、この点については同情する。

ただ、その扱われ方にデリケートになっているのは事実。映画や絵本での描かれ方から逸脱したキャラクター使用はアウトらしい。プールの一件の場合、たとえ手続きを踏んでも、本来地上で暮らす生き物であるネズミのミッキーが水中に描かれることに難色を示した可能性はあったみたい。あと、面白いのが「両雄並び立たず」の原則。世界のアイドル・ミッキーマウスが、ほかのスターと共演するのは基本的にNG。マイケル・ジャクソンが東京ディズニーランドを貸し切りにしたのには、当然、トラブル回避の意味もあるが、ミッキーとマイケルの2ショットを第三者に見られるのを避ける目的もあったのだとか。ディズニーシーでの矢沢永吉ライブも、ミッキーなどによるファイナルショーが終了してから行われている。「中の人などいなぁい!」のルールといい、自社のキャラクターをスターたらしめんとするその努力と徹底ぶりは立派だと思う。

ちなみに、記事中リンク先では『アダムス・ファミリー2』でのディズニー作品の扱われ方を例にディズニー批判を展開しているが、世間から自社がどう見られているかも先刻承知とのこと。ディズニーが王道を行くことで、それを批判するような作品が登場する。それによってエンターテインメントシーンが広がりを持つのは非常に良いことなのだそう。優等生的発言ではあるが、ここまで来ると勝者の余裕ですな。ツッコミを入れると、こっちが卑屈になりそう。

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2004/03/08

違和感解消

■「おたく立国」ってマジ?
山形浩生氏のコラム。最近の政府のコンテンツビジネスへの働きかけについて。こんなニュースを見るにつけ「なんか違うような」という感覚がつきまとっていたのだが、何がどう変なのか、わかった気がする。

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タイプキャストというわけでもなく

■監督からの「十兵衛ちゃん2」製作にあたっての裏話
ココらへんのみなさんの大嫌いな大地ヲタとして、そして自分に飛び火しないモメごとが大好きないち野次馬として、おじゃるでの一件以降、小西寛子がらみの色々をチェックしていただけに、このコメントは結構興味深い。ユーリ・ノルシュテインが出演するJ2関連というのも、弊サイトにはうってつけのネタだったり。結局、声優ありきの企画だったってことなのね。これで、ファンの侃々諤々は一応決着を見るのかな? 半ば出来レースとはいえ、堀江派と小西派、そして「声優ヲタ、キモ」などと両者を煽る面々の叩き合いは結構面白かったのだが……。

ちなみにJ2本編については、ココのみなさんとだいたい同じ印象。バリバリ動くチャンバラはかっこいいんだけど、最近の鬱展開はちょっと苦手。ただ、堀江自由については「そんなに神経質になって叩くほど違和感あるかな?」って感じ。声にこれっぽっちも思い入れがないからかしら?

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2004/03/03

機を逸しすぎたにも関わらず、まだ続く取材後記

はてさて、みなさんは、どんなところからボクのサイトに来てるのだろう? なんて疑問を解消すべく、アクセス解析を導入してみたところ、Fuku Diaryからお越しの方が妙に多い。確かにトラックバックを送らせてもらったが、それも数日前のこと。なぜに今さら? などと思いつつ、リンク元にアクセス。あれま、弊サイトへのリンクを貼っていただいているようで。どうもありがとうございます。

リンク元には、弊サイト3/1付の発言が引用してある。それによると『もえたん』の購買層や、『シスプリ』『デ・ジ・キャラット』を挑戦状と受け取った彼は、「送り手との共犯関係を楽しみたいから萌える」のではなく、「良質な萌えコンテンツを介して、送り手との共犯関係を楽しんでいる」のではないか、とのこと。「せっかく面白い仕掛けが用意されたんだから『いんくたん、萌えぇ』って言っとけ」ということではなく、「萌えキャラと英単語をお勉強」というパッケージングを考えたヤツへのある意味でのリスペクト((福)氏の言葉を借りるなら「連帯」)から売れたというわけか。なるほど、納得。

よく考えてみれば、そりゃそうだ。そもそも、ボクの言う萌え方は回りくどい。何がうれしくて、送り手とコミュニケートするためにキャラクターに思い入れる、なんて面倒なプロセスを踏まなければならないのか? 「うわっ、萌えキャラと一緒に英単語を覚える参考書だって。面白いこと考えるねぇ。その心意気、買った!」と笑っている方がよっぽどシンプルだし、自然だ。

しかし、やっぱり萌えはクールだと思う。(福)氏曰く、萌え=可愛いものに対する本能的衝動らしい。その衝動の生みの親との連帯感だけで、1冊の参考書を新聞・雑誌でも取り上げられるようなヒット商品に押し上げるんだから痛快だよなぁ。




って、萌えに全力で背を向けるはずだったのに、何を長文を……。

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2004/03/01

温度の違い

第7回文化庁メディア芸術祭受賞作品展に行ってみたが、ちょっと肩すかし。

【主な受賞作品】
エンターテインメント部門:『ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル』『EyeToy:Play』『スキージャンプ・ペア』
アニメーション部門:『冬の日』『東京ゴッドファーザーズ』『ガラクタ通りのステイン』
マンガ部門:『カジムヌガタイ』『ヘルタースケルター』『バカ姉弟』

イマドキのポップカルチャーシーンを代表する作品を紹介・評価するのが主なコンセプトなのだろうから、これで何の問題もないのだけれど、新鮮味には欠けたかな。その映像やマンガ原稿、コンテを観ても「そりゃ受賞するわ」と再確認するだけだった。

同時開催の「わざとこころ 日本式・アニメーションの探検」もしかり。展示作品を作家・プロダクション別に見てみると、押井守、大友克洋、大地丙太郎、ProductionIG、GAINAXなどなど。シーンで一番キャッチーな人と会社を集めてみましたって感じ。普段、アニメを熱心に観ているわけではない層にもアピールできるキャラクターと作品を持っているのだから、その人、会社には何の罪もない。むしろすごい人たちなのだが、ちょっとでもアニメに興味のある人にはあまり刺激的ではないかも。期待の飛び道具『週刊わたしのおにいちゃん』の展示も、ただフィギュアを並べているだけで、どうにも地味だった。むしろ、その奥にそびえ立っていた等身大まほろさんの方が強烈だったかも。ツレ(女)が懸命にスカートの中を覗き込もうとしていたのには閉口したが……。

『十兵衛ちゃん2』や『まほろまてぃっく』の映像とコンテを見比べられる企画はなかなか興味深かったし、I.TOONによる『クレイタウン』のデモンストレーションなんかも、美術の成績が万年2だった分際で「ちょっとほしいかも」なんて思ってみたり。見るべきがまったくなかったわけではないんだけど、期待が大きすぎたのかしら?

さて、話を戻して、メディア芸術祭受賞作品展。むしろ楽しかったのは「アート部門」。特に『デジタル・ガジェット6,8,9』と『青の軌跡』が非常に面白く、バカみたいにいじり倒してしまった。インタラクティブとは何なのか、ちょっとわかった気がする。涙を飲んで高畑勲と川本喜八郎のシンポジウムをパスした甲斐があったというものだ(来場時間がマズかっただけなのだが)。ただ、これってボクにアートの素養がない(万年美術2だし)から、エキサイティングだっただけなのかしら? という気がするのも事実。現代アートに明るい人にとっては「何を今さら」な作品なのかも。ちょうど、ボクがエンターテインメント部門やアニメーション部門に感じたように。

あと、『冬の日』の特別上映を鑑賞。アートアニメ系作家の総花的な作品なので、どんな作家がいるのか、どんな素材でアニメを作るのか、そんなことを知りたい人の入門編としていいかも。豪華作家陣が揃っているから、お祭り的にも楽しめる。改めて、いい作品だなぁ、なんて思ってみたり。

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機を逸しすぎた取材後記

「『もえたん』読売新聞で特集!」とのことで、担当記者氏のサイトをチェック。

あと、私流の解釈では、「もえたん」がこれだけ売れた大きな理由は、「世代を超えたおたくの連帯」だと思っています。馬鹿(褒め言葉)な漢の心意気に、漢がほれた、というか。その辺の気持ちも込めたつもりなのですが、うまく伝わっているかどうか・・・。
年初に担当した週刊SPA!誌の萌えキャラビジネス特集を思い出す。特集では素人オタク座談会を開いたのだが、その席上「シスプリ、デ・ジ・キャラットは俺らへの挑戦状。あの設定(ある日、突然、12人のかわいい妹と同居することに。猫耳キャラがアキバ系の方々に毒舌を)は激しく俺らを挑発している。なら、あえて乗ってやらなきゃオタクがすたる」との発言が。担当ページの企画意図が「キャラデザ、ストーリーから、今、受ける(売れる)萌えキャラの傾向を探ろう」というものだったので、記事中では取り上げなかったが、なかなか印象的なコメントだった。

「キャラクターがかわいい」「ストーリーが泣ける」からではなく、「送り手との共犯関係を楽しみたい」から萌える。萌えって意外とクールな遊びなんだなぁ。FukuDiaryの一文を受け、今さらながらそんなことを再確認した次第。

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2004/02/27

最初の仕事、最後の仕事

■日経ネットナビ4月号「アンチ定番サイト厳選500」
特集中の「アートアニメ」の記事を執筆しました。一応、このサイトを立ち上げるきっかけになった仕事だったりします。よろしければ、ご一読を。なお、ネットナビは今号でいったんお休み。ライターになって初めての仕事がナビだったりしただけに、ちょっと感傷的になってみたり。

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動画を持ち歩くということ

■インデックス、マッド・ハウスを買収
ちょっと古めのニュースですが。最近、コンテンツプロバイダ、家電・AVメーカーともに「モバイル動画」サービス・機器に力を入れてるけど、個人的にはちょっと疑問。確かに今回の報道の場合、コンテンツには期待できる。今放映中のマッドハウス制作アニメだけでも『デ・ジ・キャラットにょ』『妄想代理人』『ガングレイブ』『十兵衛ちゃん2』と、人気・注目を集めそうなタイトルは多い。『MONSTER』や『東京ゴッドファーザーズ』しかり。そして、インデックスといえば、ケータイ向けコンテンツプロバイダ屈指の勝ち組。「コンテンツ配信サービスは何が観られる(聴ける)のか、そのコンテンツの質と内容が普及の鍵」なんて言われがちだが、その点での心配は少なそう。

でも、インターフェイスに問題があるような気が……。当たり前の話だけど、ケータイで動画を観るには目と耳を使う上に、端末を片手で持たなきゃいけない。外出先で目、耳、手をある一点に集中させるのって危なくないかなぁ?歩いている時には絶対使えないし、満員電車でも困りそう。あと、横から画面を覗かれるのもヤだなぁ。でじこなんぞ観てた日にゃ、アンタ。「インデックスとマッドが手を組んだって売れねぇよ」ってことではなく、今のケータイやモバイルプレーヤーのデザインだと「動画を持ち歩く」こと自体厳しいんじゃないかと。

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